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近畿一周ぐるり旅~3. 草津線と湖西線で敦賀へ~

この記事は過去に初代ブログで投稿したものです。 初代ブログから本文をそのまま移行したため、一部表現に不自然な点があるかもしれませんが、そのまま掲載します。

柘植駅から草津線に乗車します。車両は、


113系です(写真は草津駅到着後に撮影)。カフェオレ色の先頭車に挟まれた、湘南色の中間車という変態編成ですw

草津線内ではこのような、文字と文字が広く離れていたり隣の駅の文字が小さかったりなど、これまた独特の駅名標が設置されていました。

広く開けた田園地帯を走ります。

113系の車内はボックスシートが顕在で、岡山地区のように223系などと同等の転換クロスシートではありませんでした。


柘植から20分ほどで貴生川駅に到着です。日中の草津方面からの列車の半数は当駅で折り返します。近江鉄道・信楽高原鐵道と乗り換えができますが、信楽高原鐵道線は昨年の台風による水害で橋脚が流され、復旧に時間がかかるため現在はバス代行輸送を行っています。ホームには信楽高原鐵道の列車が留置されていました。

貴生川駅から25分ほどで終点草津駅に到着。柘植駅は三重県にあるため、相当距離があるのではと思いましたが、意外にも45分で前線乗り通しできました。

ここからは琵琶湖線で山科駅に向かいます。
が、ここでトラブルが。どうやら草津駅の到着が3分ほど遅れたらしく、当初予定していた電車に乗れませんでした(猛ダッシュすれば乗れないこともなかったのですが、混雑していたのと駆け込み乗車は危険なので、乗車をあきらめました)。すぐあとにやってきた、

この電車に乗ります。本日2回目の221系体質改善車。ところがこの電車は普通電車。山科駅での乗り換え時間はそれなりにあったものの、果たして間に合うのか。

不安に感じながらも、
なんとか山科駅に到着。幸い次の電車までは数分あり、ここで予定は元通りになりました。

ここからは新快速敦賀行きに乗車します。が。
車内の混雑により前面展望できず、かろうじて車窓風景を数枚撮影できるにとどまりました。中央やや下に見える線路が、ついさっき利用した琵琶湖線の線路。湖西線は山科駅発車後高架を上がり、トンネルに入って左に進路を変えます。

琵琶湖が間近に見えます。これは進行方向右側。琵琶湖線で米原方面に行くと、琵琶湖が左手に見えます。

トワイライト色のEF81の単機回送。ヘッドマークをつけていないので違和感がw

湖西線は高速走行のために建設された路線です。223系などは各駅に停車する区間でも最高時速の130km/hで一気に北上します。この後は同じような風景が続いていたのと混雑により思い通りの写真が撮れそうにないということで、しばらく撮影をお休みしました。

やがて混雑が収まったため、再びカメラを持って車窓かぶりつきです。
前方から左手にかけて、比良の山々が連なります。この時期は雪化粧しており、絵になる車窓風景を演出してくれます。実はこの山々は比叡山坂本駅付近から少しずつ見えていたのですが、混雑により撮影できず「せっかくの風景だけど撮影できずじまいかな……」と心配したのですが、最後になんとか撮影できました。

右手から北陸線の線路が近づいてくると、近江塩津駅に到着です。ここで湖西線は全線乗り通し完了。ここからは北陸線で終点敦賀駅まで行きます。

敦賀駅には11時15分に到着。山科 - 敦賀間88.6kmをわずか1時間20分で走破、あっという間の移動でした。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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