曜日は明けて月曜日、いつもの喫茶店のドアを開けると、そこには優の姿があった。彼女に特別変わった点は見受けられなかった。というか優が、俺が彼女の家に行ったことをあまりに気にしていなさすぎることに、少々複雑な思いを抱かずにはいられなかった。だってそうでしょう。普通は異性が家に来たら、そのあと会った時に気まずさを感じずにはいられないぞ。というか、今の自分がまさにそれである。彼女と目を合わせるのもやっとだった。それなのに、優はまるで俺が、始めから家に行くことなどなかったかのように、平然とした振る舞いでクラスメイトと接していた。とはいえ、彼女が昔から「本当の自分を隠して人と接する」性格であることを考慮すれば、実は内心気まずく感じているのだろうか、と考えもする。
「よっ、来たぞ」
「うん……」
優はこちらを見ず、返事だけしてスマートフォンをいじっていた。今までの彼女ならそんなことはまずなく、たいてい笑顔で「今日も来てくれてありがとう、誠くん」などと返してくれた。今の彼女の表情は学校でのそれとは全く別で、少なくとも「学校での優」と「喫茶店の中での優」の心の中は全く別のものだと推測することができた。
俺は優のとなりに座ったもの、話す内容を見つけられないでいた。この前彼女の部屋を訪れた時に、飽きてしまうほどいろいろな話をしたから、何を話そうにもこの前の繰り返しになってしまう。脳みそを必死に回転させて話のネタを考えていると、優がこちらに目を向けることなく尋ねてきた。
「ねぇ、誠くん……あれがお母さんの仏壇だって、どうして思ったの?」
俺はその言葉に、一瞬で血の気が引き、青ざめてしまった。みるみるうちに脇汗がにじみ出てくる。そのうち額からも汗が流れてきた。彼女の口調は、俺が誰かと浮気していたとして、その様子を影で見ていて後でそれを暴露するかのような話し方だった。あるいは、親に内緒でどこかへ出かけて、帰ってきたときに玄関に親が立っていて、何をしていたか問いただすような話し方であるともいえる。極端な言い方をすれば、ホラーだった。もしかして優に殺されるんじゃないか、と思った。実際に男女関係のもつれで殺人事件に至ったケースも聞いたことがある。
「う、うえっ!?」
あまりにビビってしまい、声が裏返る。先生に課題をやっていないことを咎められるとか、何か悪いことをしてそれが親にばれて怒られるとか、そんなレベルの恐怖ではない。どんなに怖いお化け屋敷でもこれほどの恐怖は味わえないだろう。あと少し俺のメンタルが弱ければ、たぶん恐怖に押しつぶされて泣き出していたと思う。
俺は二度大きく深呼吸をして、それから質問に答えた。
「俺、見えちゃったんだよ。優の家を出るとき、ある部屋に仏壇が置いてあって、その上にお母さんぐらいの年齢の人の肖像画が置いてあったのを」
「ねぇ、私、部屋の中をじろじろ見ないで、って言ったよね? どうして守ってくれないの?」
「仕方ないだろ。見えてしまったものなんだから。それとも俺に目をつむったまま過ごせというのか?」
「そういうことじゃない。まぁ、無意識に見えてしまったんなら仕方ない。でも、どうしてあれが私のお母さんだと思ったの? もしかしたら年齢が同じぐらいの別の人かもしれないでしょ」
「そうかもしれないけど……でも、顔の雰囲気がすごく優に似ていたような気がしてさ。じっくり見たわけでもないのにそう思えるってことは、きっとお母さんぐらいしかいないんじゃないかと思って」
「根拠はそれだけ?」
「あぁ」
「結論だけいうと、あれは私のお母さんじゃないわ」
「そうなのか?」
「うん。それ以上は言わないよ。あまり私の家庭事情に突っ込まないで」
「あぁ……」
「わかってる?」
優は突然俺の顔を覗き込むように、ぐいぐいと顔を近づけてきた。何かの振動があれば、そのままキスしてしまうんじゃないかと思えるほどに。どうしてだろう。優はクラスメイトに「アイドル」だと呼ばれるほど可愛いし、自分も彼女の美しさには気付いているはずなのに、俺の顔を覗き込む、というよりも睨みつけてくる彼女のことを、お世辞にも「可愛い」とは思えなかった。
だから俺は、言ってやりたかった。あの時初めて俺に話しかけてきたときの、純粋に俺を頼ってくれていた頃の優に戻ってほしくて、俺が知っている、素直で明るい優であってほしくて、俺はちゃんと優に向き合いたかった。
「なぁ、優。正直に言わせてもらうと、今の優は何か隠し事をしているように見える。お母さんじゃない別の人「かもしれない」ってことは、お母さん「かもしれない」ってことだろう。まさかとは思うけど、そういうことって、あり得るのか? つまり、優のお母さんが」
その時、優が突然立ち上がり、バッグを持って喫茶店を飛び出して行った。俺から離れていく瞬間の優は、俺を睨みつけていたように見え、泣いているようにも見えた。彼女には申し訳ないが、これはすなわち「図星」だった、と考えてもいいのだろうか。
「誠くんー、もうちょっとオブラートに包んだような言い方のほうがよかったんじゃないか~。あれは私でも傷つくよぉ」
「そうです……よね……」
俺はオーナーに指摘された自分の言動を激しく後悔しながらも、それでもなんとか彼女に本当の真実と向き合い、自分に素直になってほしいと思っていた。
「よっ……」
「……」
前の日にあんなことがあったというのに、翌日も優は喫茶店の、前日と同じ位置に座っていた。俺は軽く声をかけたが、彼女はこちらの様子をうかがっただけで返事はしなかった。優にとって、この場所は今でも安息の場所なのだろうか。正直に言うと、今の俺にとってこの場所は、というよりかは彼女とのひとときは、気まずさと精神的苦痛を味わうだけの時間でしかなくなりつつある。しかし、最初の依頼を完遂したとは思えず、半ば仕方なくこの場所に来ているような形である。
……とでも思いたくなるほどに、優との気まずさは大きくなるばかりであった。今日も何か大きな出来事が起こるのではないか、何か俺に精神的苦痛が与えられるのではなかろうか。不安で仕方なかった。彼女に話しかける勇気も、とうとうなくなってしまった。優が話し始める。
「昨日は急に帰っちゃってごめんね。まさか誠くんがそういうことを言う人だと思えなくて、信じられなくなって、心の中がおかしくなりそうで、飛び出しちゃった」
「こちらこそ、後先考えずストレートな言葉をぶつけてしまって、ごめん。もうちょっと言葉を選ぶべきだったと反省してる」
お互いの謝罪で、この先に光が見えそうになった。しかし、それはすぐに雲に隠れてしまった。永遠に太陽が姿を現すことのない、真っ黒で分厚くて大きな雲に。
「で、一つ聞くけど、結局誠くんは私と竜野夢香、どっちを選ぶの?」
「え? 急に何の話だ? 」
「夢の世界で起こっている例の話よ。あなたは私を見捨ててあいつの肩を持つのか、あいつに消えてもらって私と一緒になるのか、どっちがいいの?」
「それは……」
「どうせ竜野夢香でしょ。わかってるよ。私たちが夢の世界で会ったあの日、あいつをかばおうとしていたじゃない。それに私、見てたんだ。二人が夢の世界でまた会って、仏壇の件について話したり、殴られたところを見せて泣くあいつを誠くんが抱きしめたり、ねぇ! やっぱり、竜野夢香なんだ」
「違う」
「どう違うの!! あんなの、どう見たって二人はお似合いよ。抱きしめてたのも、どうせあいつのことが好きだからなんでしょ? こんな私より、なんでも言うことを聞いてくれるあいつのほうが、誠くんの好みなんでしょう!?」
「なぁ……今のお前、やっぱり俺が知ってる優じゃない」
「お前って何よ。名前で呼んでよ……」
「悪いけど、そう呼ぶことを忘れてしまうほどに、優が優じゃなくなってる。自分では気付いていないかもしれないけど、俺に初めて話しかけてきてくれた頃の優、もっと純粋で、素直な性格だった」
「今の私だって、自分の気持ちに正直になって素直に自分を表現してるんだけどな。これがおかしいって言うの? 誠くんは私に、かつての網干優に戻れって言うの?」
「違う。ただ、優は俺と夢香が一緒にいるところに鉢合わせてから変わってしまった。夢香を恨む気持ちはわからないでもないけど、だったらなんで俺に頼らないんだよ。もっと俺を利用すればいいじゃないか」
「……もういいわ。私、今夜中に決着をつけないと」
その時、優は意を決したように荷物を乱暴につかみ、喫茶店を出ていった。今度は俺のほうを見向きもせず、ただ自分の目的のものに向かって突き進むかのように、一心に飛び出して行った。
「まいったなぁ。これでコーヒー二日分の代金もらってないことになるんだけどなぁ」
オーナーは、俺たちの危機的状況はあまりよく分からない様子で、ただ優の無銭飲食だけ気にして、頭をぽりぽりかきながらカウンターの奥の方へと消えていった。
「これはやばいことになるんじゃないか」
優が喫茶店を飛び出して行ったときから薄々勘付いてはいたが、夜が近づくにつれその思いが段々強くなり、宿題を終える頃にはそのことしか考えられなくなっていた。あの目つきといい、以前からの優の言動・行動といい、あれは本当に夢香が無事じゃなくなるかもしれない。俺は、純粋に夢香を助けたいと思った。それは夢香が好きとか、夢香に変なことをしたいとかそんなことじゃなくて、ただ、俺の「困っている人がいたら助ける」という信念のもとにごく自然に行動しているだけのことである。
「どうか、夢香が無事でありますように」
そう強く思って、俺は眠りについた。
「……なぜだ」
俺は、夢の世界に行くことができなかった。あれだけ強く夢の世界に行きたいと、あれだけ強く夢香の無事を祈っていたのに、俺は呼び出されなかった。あるいは、俺の思いだけは伝わっているのだろうか。非常にもやもやした気分で朝を迎えた。
「彼女、来てないんですか……」
「そうなんだよ~。この前のお金、いい加減払ってもらわないとねぇ。誠君も、優ちゃんを見かけたら言ってやってくれないかな~」
「あ、はい……」
優は、ついに喫茶店にも姿を見せなくなった。この場所すら安息の場所ではなくなったというのだろうか。それとも、俺が来るからだろうか。俺は、あまりにももやもやしたものが多過ぎて、むしゃくしゃして、何かで鬱憤を晴らしたかった。オーナーがまるで俺の気持ちをくみ取ったかのように、タイミングよくエアーパッキンを用意してくれた。あまりのタイミングの良さに思わず吹き出しそうになってしまったが、俺はそれをとにかくプチプチすることで、少しばかりのイライラを和らげることができた。
昨日あのような形相で飛び出して行った優だから、きっと何かしらしでかしたかもしれない。学校に行けば、少なくとも表情から何かを読み取ることができるはずだ。そして、俺がなぜ昨夜夢の世界に行くことができなかったのかも、知りたかった。できることなら、喫茶店で彼女に直接話しかけ、昨日何があったのか聞きたかった。彼女は、俺が何か問いただしてくることを察知して、俺に少しでも会わないようにしようとでも思ったのだろうか。あるいは夢の中で何か闘いをし、そのときに怪我でもしたのだろうか。いずれにしても、夢香が無傷であるとは考えにくかった。
「よっ、来たぞ」
「うん……」
優はこちらを見ず、返事だけしてスマートフォンをいじっていた。今までの彼女ならそんなことはまずなく、たいてい笑顔で「今日も来てくれてありがとう、誠くん」などと返してくれた。今の彼女の表情は学校でのそれとは全く別で、少なくとも「学校での優」と「喫茶店の中での優」の心の中は全く別のものだと推測することができた。
俺は優のとなりに座ったもの、話す内容を見つけられないでいた。この前彼女の部屋を訪れた時に、飽きてしまうほどいろいろな話をしたから、何を話そうにもこの前の繰り返しになってしまう。脳みそを必死に回転させて話のネタを考えていると、優がこちらに目を向けることなく尋ねてきた。
「ねぇ、誠くん……あれがお母さんの仏壇だって、どうして思ったの?」
俺はその言葉に、一瞬で血の気が引き、青ざめてしまった。みるみるうちに脇汗がにじみ出てくる。そのうち額からも汗が流れてきた。彼女の口調は、俺が誰かと浮気していたとして、その様子を影で見ていて後でそれを暴露するかのような話し方だった。あるいは、親に内緒でどこかへ出かけて、帰ってきたときに玄関に親が立っていて、何をしていたか問いただすような話し方であるともいえる。極端な言い方をすれば、ホラーだった。もしかして優に殺されるんじゃないか、と思った。実際に男女関係のもつれで殺人事件に至ったケースも聞いたことがある。
「う、うえっ!?」
あまりにビビってしまい、声が裏返る。先生に課題をやっていないことを咎められるとか、何か悪いことをしてそれが親にばれて怒られるとか、そんなレベルの恐怖ではない。どんなに怖いお化け屋敷でもこれほどの恐怖は味わえないだろう。あと少し俺のメンタルが弱ければ、たぶん恐怖に押しつぶされて泣き出していたと思う。
俺は二度大きく深呼吸をして、それから質問に答えた。
「俺、見えちゃったんだよ。優の家を出るとき、ある部屋に仏壇が置いてあって、その上にお母さんぐらいの年齢の人の肖像画が置いてあったのを」
「ねぇ、私、部屋の中をじろじろ見ないで、って言ったよね? どうして守ってくれないの?」
「仕方ないだろ。見えてしまったものなんだから。それとも俺に目をつむったまま過ごせというのか?」
「そういうことじゃない。まぁ、無意識に見えてしまったんなら仕方ない。でも、どうしてあれが私のお母さんだと思ったの? もしかしたら年齢が同じぐらいの別の人かもしれないでしょ」
「そうかもしれないけど……でも、顔の雰囲気がすごく優に似ていたような気がしてさ。じっくり見たわけでもないのにそう思えるってことは、きっとお母さんぐらいしかいないんじゃないかと思って」
「根拠はそれだけ?」
「あぁ」
「結論だけいうと、あれは私のお母さんじゃないわ」
「そうなのか?」
「うん。それ以上は言わないよ。あまり私の家庭事情に突っ込まないで」
「あぁ……」
「わかってる?」
優は突然俺の顔を覗き込むように、ぐいぐいと顔を近づけてきた。何かの振動があれば、そのままキスしてしまうんじゃないかと思えるほどに。どうしてだろう。優はクラスメイトに「アイドル」だと呼ばれるほど可愛いし、自分も彼女の美しさには気付いているはずなのに、俺の顔を覗き込む、というよりも睨みつけてくる彼女のことを、お世辞にも「可愛い」とは思えなかった。
だから俺は、言ってやりたかった。あの時初めて俺に話しかけてきたときの、純粋に俺を頼ってくれていた頃の優に戻ってほしくて、俺が知っている、素直で明るい優であってほしくて、俺はちゃんと優に向き合いたかった。
「なぁ、優。正直に言わせてもらうと、今の優は何か隠し事をしているように見える。お母さんじゃない別の人「かもしれない」ってことは、お母さん「かもしれない」ってことだろう。まさかとは思うけど、そういうことって、あり得るのか? つまり、優のお母さんが」
その時、優が突然立ち上がり、バッグを持って喫茶店を飛び出して行った。俺から離れていく瞬間の優は、俺を睨みつけていたように見え、泣いているようにも見えた。彼女には申し訳ないが、これはすなわち「図星」だった、と考えてもいいのだろうか。
「誠くんー、もうちょっとオブラートに包んだような言い方のほうがよかったんじゃないか~。あれは私でも傷つくよぉ」
「そうです……よね……」
俺はオーナーに指摘された自分の言動を激しく後悔しながらも、それでもなんとか彼女に本当の真実と向き合い、自分に素直になってほしいと思っていた。
「よっ……」
「……」
前の日にあんなことがあったというのに、翌日も優は喫茶店の、前日と同じ位置に座っていた。俺は軽く声をかけたが、彼女はこちらの様子をうかがっただけで返事はしなかった。優にとって、この場所は今でも安息の場所なのだろうか。正直に言うと、今の俺にとってこの場所は、というよりかは彼女とのひとときは、気まずさと精神的苦痛を味わうだけの時間でしかなくなりつつある。しかし、最初の依頼を完遂したとは思えず、半ば仕方なくこの場所に来ているような形である。
……とでも思いたくなるほどに、優との気まずさは大きくなるばかりであった。今日も何か大きな出来事が起こるのではないか、何か俺に精神的苦痛が与えられるのではなかろうか。不安で仕方なかった。彼女に話しかける勇気も、とうとうなくなってしまった。優が話し始める。
「昨日は急に帰っちゃってごめんね。まさか誠くんがそういうことを言う人だと思えなくて、信じられなくなって、心の中がおかしくなりそうで、飛び出しちゃった」
「こちらこそ、後先考えずストレートな言葉をぶつけてしまって、ごめん。もうちょっと言葉を選ぶべきだったと反省してる」
お互いの謝罪で、この先に光が見えそうになった。しかし、それはすぐに雲に隠れてしまった。永遠に太陽が姿を現すことのない、真っ黒で分厚くて大きな雲に。
「で、一つ聞くけど、結局誠くんは私と竜野夢香、どっちを選ぶの?」
「え? 急に何の話だ? 」
「夢の世界で起こっている例の話よ。あなたは私を見捨ててあいつの肩を持つのか、あいつに消えてもらって私と一緒になるのか、どっちがいいの?」
「それは……」
「どうせ竜野夢香でしょ。わかってるよ。私たちが夢の世界で会ったあの日、あいつをかばおうとしていたじゃない。それに私、見てたんだ。二人が夢の世界でまた会って、仏壇の件について話したり、殴られたところを見せて泣くあいつを誠くんが抱きしめたり、ねぇ! やっぱり、竜野夢香なんだ」
「違う」
「どう違うの!! あんなの、どう見たって二人はお似合いよ。抱きしめてたのも、どうせあいつのことが好きだからなんでしょ? こんな私より、なんでも言うことを聞いてくれるあいつのほうが、誠くんの好みなんでしょう!?」
「なぁ……今のお前、やっぱり俺が知ってる優じゃない」
「お前って何よ。名前で呼んでよ……」
「悪いけど、そう呼ぶことを忘れてしまうほどに、優が優じゃなくなってる。自分では気付いていないかもしれないけど、俺に初めて話しかけてきてくれた頃の優、もっと純粋で、素直な性格だった」
「今の私だって、自分の気持ちに正直になって素直に自分を表現してるんだけどな。これがおかしいって言うの? 誠くんは私に、かつての網干優に戻れって言うの?」
「違う。ただ、優は俺と夢香が一緒にいるところに鉢合わせてから変わってしまった。夢香を恨む気持ちはわからないでもないけど、だったらなんで俺に頼らないんだよ。もっと俺を利用すればいいじゃないか」
「……もういいわ。私、今夜中に決着をつけないと」
その時、優は意を決したように荷物を乱暴につかみ、喫茶店を出ていった。今度は俺のほうを見向きもせず、ただ自分の目的のものに向かって突き進むかのように、一心に飛び出して行った。
「まいったなぁ。これでコーヒー二日分の代金もらってないことになるんだけどなぁ」
オーナーは、俺たちの危機的状況はあまりよく分からない様子で、ただ優の無銭飲食だけ気にして、頭をぽりぽりかきながらカウンターの奥の方へと消えていった。
「これはやばいことになるんじゃないか」
優が喫茶店を飛び出して行ったときから薄々勘付いてはいたが、夜が近づくにつれその思いが段々強くなり、宿題を終える頃にはそのことしか考えられなくなっていた。あの目つきといい、以前からの優の言動・行動といい、あれは本当に夢香が無事じゃなくなるかもしれない。俺は、純粋に夢香を助けたいと思った。それは夢香が好きとか、夢香に変なことをしたいとかそんなことじゃなくて、ただ、俺の「困っている人がいたら助ける」という信念のもとにごく自然に行動しているだけのことである。
「どうか、夢香が無事でありますように」
そう強く思って、俺は眠りについた。
「……なぜだ」
俺は、夢の世界に行くことができなかった。あれだけ強く夢の世界に行きたいと、あれだけ強く夢香の無事を祈っていたのに、俺は呼び出されなかった。あるいは、俺の思いだけは伝わっているのだろうか。非常にもやもやした気分で朝を迎えた。
「彼女、来てないんですか……」
「そうなんだよ~。この前のお金、いい加減払ってもらわないとねぇ。誠君も、優ちゃんを見かけたら言ってやってくれないかな~」
「あ、はい……」
優は、ついに喫茶店にも姿を見せなくなった。この場所すら安息の場所ではなくなったというのだろうか。それとも、俺が来るからだろうか。俺は、あまりにももやもやしたものが多過ぎて、むしゃくしゃして、何かで鬱憤を晴らしたかった。オーナーがまるで俺の気持ちをくみ取ったかのように、タイミングよくエアーパッキンを用意してくれた。あまりのタイミングの良さに思わず吹き出しそうになってしまったが、俺はそれをとにかくプチプチすることで、少しばかりのイライラを和らげることができた。
昨日あのような形相で飛び出して行った優だから、きっと何かしらしでかしたかもしれない。学校に行けば、少なくとも表情から何かを読み取ることができるはずだ。そして、俺がなぜ昨夜夢の世界に行くことができなかったのかも、知りたかった。できることなら、喫茶店で彼女に直接話しかけ、昨日何があったのか聞きたかった。彼女は、俺が何か問いただしてくることを察知して、俺に少しでも会わないようにしようとでも思ったのだろうか。あるいは夢の中で何か闘いをし、そのときに怪我でもしたのだろうか。いずれにしても、夢香が無傷であるとは考えにくかった。