俺と優、そして夢香とのいざこざがすべて解決してから、俺は毎日夢香のいる「ワールド・インターチェンジ」を訪れるようになっていた。もちろん、毎日世界の移動をするためではない。ただ単に夢香に会いに行っているだけだ。あの夜、俺たちは絆を確かめあい、それ以降家族同然の関係となった。男女関係がどうのこうのとか、付き合う云々はここでは問題にすらならない。俺たちは、そういう世間一般の考えとは全く関係なく、ただの「絆」、しかし何よりも強い「絆」で結ばれた関係となった。現実世界での時間にして六時間もないが、そんな短い時間でもいい。下宿で長期間家族から離れて暮らしていると、ほんの数日間だけ家に戻っただけでもとても幸せに感じるように、ほとんどの時間を別々の世界で過ごす分、夜の六時間は何者にも代えがたい幸せな時間に感じた。しかし、そんな時間にも少しずつ変化が訪れることとなった。それも、良くない変化であった。
ある日、いつものように夢香との会話を楽しんでいたときのことだった。
「……へぇ、そうだったんだ」
「そうなんです。私もびっくりですよ! 私も、そんな、ことが……」
突然、夢香の呼吸が浅くなり、声が弱々しくなる。かと思ったら、徐々に体がふらつき始める。彼女は椅子に座っていたが、もはや椅子から転げ落ちる勢いだった。
「おい、夢香? 大丈夫か? ……夢香っ!」
俺が叫び、夢香の体に手をかけたのとほぼ同じタイミングで、彼女はとうとう椅子から転げ落ちて、その場に倒れこみそうになった。なんとか俺が手を取り、重力のままにうなだれる事態は避けられたが、彼女は自力で体重を支えることができなくなっており、俺に完全に体を委ねていた。顔は青白くなり、少しばかりの汗も確認できた。目は半開きになっていて、潤いを失いかけているように見えた。
「夢香! 大丈夫か!?」
「……あぁ、すみません。ちょっと、貧血気味で……」
「お前……この前も同じようになったけど、大丈夫か? ちゃんと栄養とってるのか?」
「とってますよ……誠さん、本当に優しいんですね」
そうなのである。夢香が貧血と思しき症状で倒れたのは今回が初めてではなかった。一ヶ月ほど前から、一週間に一回から二回、今回のように夢香の調子がすぐれないことがあった。今回の貧血のような症状の時もあれば、激しい腹痛を訴えるときもあり、また嘔吐でもしそうな勢いでむせ返るときもあった。しかもその頻度は日に日に増していた。俺は、夢香に何か異常が起こっているのではないかと、心配でならなかった。
「私のこの体の異常、もしかしたら貧血じゃなくて、もっと深刻なものかもしれません」
「何か、心当たりがあるのか?」
「実は、私たちがこのワールド・インターチェンジにいられる時間は限られているのです。この前お話しした内容とも関係があります」
それは、この前夢香と絆を確かめ合った夜、二人でキスを交わした後の出来事だった。
「私……現実世界では、もう生きていないんです」
「えっ……? えっ……?」
あまりに突然の告白に、俺はまず彼女の言葉を理解できなかった。
「すみません。あまりに急なことで。私たちが最高の絆で結ばれた今であったとしても、こんなことを言ったら誠さんが動揺するかもしれないということは想像できていました。でも、いつかは必ず言わなければならない時が来るので、それなら今言ってしまおうと。本当に、すみません……」
「謝ることはない。むしろ、夢香がこのことを言えずに後に引きずって、苦しい思いをしながら俺に接することのほうが俺はつらい。でも、生きていないって、どういうことなんだ? 俺が動揺するかもしれないからと、隠し事をする必要はない。ありのままを、話してくれるかな?」
「はいっ。誠さん、私が今から言うことは、全部本当のことです」
それから俺たちは、もう一度キスをしてお互いの絆を確かめあった。夢香が話し始める。
「実は私、去年の三月に交通事故で死んだんです。猛スピードで歩道に乗り上げた車に思いっきりはねられて、即死でした。でも、現実の世界に未練があるからという理由で、すぐに成仏させてくれませんでした。しばらくすると、私はここ、ワールド・インターチェンジに連れてこられました。ここに来てしばらくしてから知ったことなのですが、ワールド・インターチェンジにいる人たちは皆、私のように何らかの未練を残して亡くなった人たちなんです。ここで、世界を移動によって誰かを幸せにすることができれば、ここを旅立つ、すなわち成仏することができるんです。誠さんに初めてお会いした時、現実世界で私がどうしているのか答えられなかった理由は、これがすべてです」
「そうだったのか。でも、この場所が未練を残して亡くなった人たちの集まる場所だとすれば、なんで俺はここにいるんだ? もしかして、俺も自分の知らないうちに死んでたのか?」
「誠さんはまだ生きていますよ。「ワールド・インターチェンジ」という場所自体は、亡くなった人も生きている人も訪れることができますし、世界を移動する仕事も、生きている人も死んだ人もすることができます。それと、未練を持ったまま亡くなった人であれば、生前同様の元気な姿を、生きている人が見られる場所でもあります」
「なるほどねぇ。で、夢香の未練って?」
「それが……私にもわかりません……」
「私たちは、この世界でたくさんの人を世界移動させることによって少しずつ「未練」を晴らし、「幸せ」を貯めていっています。それが一定以上になったとき、私たちは「成仏」します。ですがその前に、未練が少なくなり幸せが多くなってくるにつれて、少しずつ体に異常が生じるんです。ここ最近私の体調がすぐれないのはこれが原因です。そして、ずっと前に私が熱を出して倒れたのも、元をたどればこのことが原因だと思います」
「つまり、夢香は少しずつ、でも確実に「幸せ」になっている、ということなのか。で、成仏したら、夢香はどうなるんだ? 俺はどうなるんだ?」
「私は消えます。どの世界からも消えていなくなります。私は、普通の死者と同じ扱いになります。そして、ワールド・インターチェンジでのみつながった人との記憶は、完全に消去されます。つまり、誠さんの記憶からも、私は消えてしまいます」
「そう、なのか……」
その時俺は、あまりに突然で、どうしようもできないこの事実を、まず疑うほかなかった。それをありのままに受け入れることはできなかった。夢香は続ける。
「誠さんは私がいなくなってからもこれまで通り過ごすことができます。ワールド・インターチェンジの他の人に出会えば、その人にまた世界を移動してもらうこともできます。ちなみにそれがないときは、誠さんは私が最後に移動させた世界で過ごし続けることになります」
「……ごめん。俺、この事実があまりに突然で大きすぎて、どうしてもうまく受け入れられない。優が家族を失ったかもしれないという事実を受け入れられない理由が、なんとなくわかる気がする」
「私も……怖いです。成仏するって、どういうことなんだろうって、いつも考えていますし、それに……誠さんとの思い出や絆、私と二人で造り上げていった全部が消えてなくなってしまうのが、何よりも怖いです」
夢香の体は細かく震えていて、瞳は涙一歩手前でうるんでいた。現実を受け入れられないのは、俺だけではなかったようだ。
「私……怖いです……」
俺たちは抱きあい、お互いが抱えている恐怖を分け合って、二人で少しずつ和らげていった。でも、こうやって抱き合っていられるのも、残りわずかしかないかもしれないと考えると、やっぱり怖くて、抱きしめるその手に力が入らず、するすると手がほどけるのであった。
ある夜、いつものように夢香のもとを訪れる。毎晩、「夢香に何か起こっていませんように……」と願うのだが、それを思った日はたいてい夢香が体調を崩す。かといって、何も思わずに夢香のもとを訪れても、あまり状況は変わらない。この夜も、それは同じだった。しかも、いつもよりちょっと、やばかった。
ベッドから起き上がり、ふと視界に入ったそこに、夢香が苦しそうな表情で横たわっているのを見た時、俺は、
「もう~~~! なんでなんだよ!」
思わずそのように心の中で叫んでしまった。別に夢香のことを悪く言っているわけではない。夢香をこんな目にあわせているのはこのワールド・インターチェンジという仕組みであるから、それを管理運営? していると思われる人に対して、どうしても怒りの気持ちを隠すことができなかった。もっとも、ワールド・インターチェンジが自然発生的にできたもので、誰も管理していないシステムだとしたら、俺の心の叫びは全く意味をなさなくなるわけだが。
俺は夢香のもとに駆け寄り、抱えてベッドに横たえる。
「おい、夢香……大丈夫か?」
「……うぅ」
こちらを向き、蚊の鳴くような声で応答するぐらいには体力はあるようだが、それでもかつての明るい表情は今は見受けられず、ただ苦しそうに目をつむっていた。
やがて、ある程度体力を回復したのか、夢香はゆっくりと起き上がった。しかし、起き上がった状態を維持できるだけの体力はなく、そのまま俺の両腕に身を委ねる形となった。
「すみません、誠さん……ご心配とご迷惑をおかけして」
「かまわない。夢香がちゃんとここにいてくれている、それだけで俺はうれしい。何も言わずに消えていなくなってしまうのが一番悲しいからな」
「誠さん……」
そのままキス……とはいかなかったが、俺たちはしっかり抱きあうことで、改めてその絆を確かめあった。
「あ、誠さん。私、思い出したんです。自分の未練が何だったのか」
「おぉ。そうなのか! よかったじゃないか。ちなみにそれが何か、俺に言えることか?」
彼女はそっとうなずき、それから俺の助けを借りながらベッドの上に座り、静かに話し始めた。
「私の未練……それは同い年の男の子を幸せにすることだったんです。私、小学生のころに自分のわがままである男の子とちょっとした物の取り合いのけんかをしたんです。それで、私が彼の持っていた物を奪い取ったんですけど、それが自分にとって嫌だった男の子はショックを受けた様子で、それまで遊んでいた部屋を飛び出して、家の外に出て行ったんです。その時に、不幸にも車にはねられたんです。幸いすぐに回復して、命に別状はなかったんですが、聞いた話だとその事故のせいでそれ以前の記憶が曖昧になってしまったそうなんです。他人を自分のせいでけがさせてしまったということももちろんですが、それよりも私の大切な、かけがえのない友達を取り返しのつかないことに巻き込んでしまった、ということが何よりも私の中で大きな罪で、償うべきことなのです。その事件以来、私は勝負事では不戦敗を申し出ることが多くなりましたし、けんかになりそうな雰囲気になったら、どんなことをされても、たとえ自分が悪くなかったとしても、自分が悪かった、許してくれ、と先に謝るようになりました。その時は、それが誰かを幸せにすることだと思っていたのですが、自分が死んでから改めて考えてみますと、それは違っていたことに気付きました。誰かを幸せにするには、自分から不幸を被りにいくのではなく、相手を幸せにしにいかないといけない。一歩下がるんじゃなくて、一歩踏み出さなければならないのだと」
夢香は、わずかな体力を振り絞って、力いっぱい、自分の思いを伝えようとしていた。彼女の過去、その結果彼女が強いられた行動、その後の考えの変化、今の夢香の言葉を聞くだけで、それがひしひしと伝わってくる気がした。
「でも、ワールド・インターチェンジでの厳しく、忙しい仕事の中でそれを実践するのはとても難しいことでした。その中で誠さん、あなたに出会ったことで私の心は大きく動きました。ちょっと忙しいけれど、誰かを幸せにしたい。そう強く思ったんです。中でも誠さんは、私が今まで出会った人の中でちょっと特殊な人でした。変態なことしか考えないのに優しい。そのうえ、私と誠さんは同い年で、気軽に話しやすい。だったらいっそのこと、誠さんのことを幸せにしてみようと。それからというもの、私は様々な方法で誠さんを幸せにする方法を考えました。いろいろ試行錯誤をしては、誠さんに怒られることもありました。誠さんに抱きしめられることもありました。恋心を抱こうか、悩むこともありました。しかし、私が恋心を捨て、誠さんと、家族のような絆を造り上げたいと願い、そしてそれを実現させた頃から、私の体調は急激に悪化していったんです」
夢香の言葉に、しばし思いを巡らせる。そんな経緯があって、俺にあのような行動をしていたのか。夢香のすべての行動の意味が、今何となくわかったような気がした。
「俺は夢香と……あ、でもそれを言ってしまったら、夢香の願いが叶って消えてしまうかもしれない」
「私の状態は言葉にするしないでは変わりませんよ。誠さん、今の思いを、私に教えてください」
「ならば……俺は、夢香に出会えて、本当に幸せに思ってる。感謝もしてる。もう聞き飽きたかもしれないけど、もう一回、いや、機会があれば何度も言わせてほしい。ありがとう」
「誠さん……」
夢香は、俺の言葉で消えることはなかった。うれしいと思うと同時に、少しもどかしくも感じた。ここで、ちょうど朝が近付いたため、俺は元いるべき世界に戻らなければならなくなった。夢香は俺と一緒にベッドに横になっているが、彼女が戻る世界はどこなのだろう。少し興味がわいたりもした。
ある日、いつものように夢香との会話を楽しんでいたときのことだった。
「……へぇ、そうだったんだ」
「そうなんです。私もびっくりですよ! 私も、そんな、ことが……」
突然、夢香の呼吸が浅くなり、声が弱々しくなる。かと思ったら、徐々に体がふらつき始める。彼女は椅子に座っていたが、もはや椅子から転げ落ちる勢いだった。
「おい、夢香? 大丈夫か? ……夢香っ!」
俺が叫び、夢香の体に手をかけたのとほぼ同じタイミングで、彼女はとうとう椅子から転げ落ちて、その場に倒れこみそうになった。なんとか俺が手を取り、重力のままにうなだれる事態は避けられたが、彼女は自力で体重を支えることができなくなっており、俺に完全に体を委ねていた。顔は青白くなり、少しばかりの汗も確認できた。目は半開きになっていて、潤いを失いかけているように見えた。
「夢香! 大丈夫か!?」
「……あぁ、すみません。ちょっと、貧血気味で……」
「お前……この前も同じようになったけど、大丈夫か? ちゃんと栄養とってるのか?」
「とってますよ……誠さん、本当に優しいんですね」
そうなのである。夢香が貧血と思しき症状で倒れたのは今回が初めてではなかった。一ヶ月ほど前から、一週間に一回から二回、今回のように夢香の調子がすぐれないことがあった。今回の貧血のような症状の時もあれば、激しい腹痛を訴えるときもあり、また嘔吐でもしそうな勢いでむせ返るときもあった。しかもその頻度は日に日に増していた。俺は、夢香に何か異常が起こっているのではないかと、心配でならなかった。
「私のこの体の異常、もしかしたら貧血じゃなくて、もっと深刻なものかもしれません」
「何か、心当たりがあるのか?」
「実は、私たちがこのワールド・インターチェンジにいられる時間は限られているのです。この前お話しした内容とも関係があります」
それは、この前夢香と絆を確かめ合った夜、二人でキスを交わした後の出来事だった。
「私……現実世界では、もう生きていないんです」
「えっ……? えっ……?」
あまりに突然の告白に、俺はまず彼女の言葉を理解できなかった。
「すみません。あまりに急なことで。私たちが最高の絆で結ばれた今であったとしても、こんなことを言ったら誠さんが動揺するかもしれないということは想像できていました。でも、いつかは必ず言わなければならない時が来るので、それなら今言ってしまおうと。本当に、すみません……」
「謝ることはない。むしろ、夢香がこのことを言えずに後に引きずって、苦しい思いをしながら俺に接することのほうが俺はつらい。でも、生きていないって、どういうことなんだ? 俺が動揺するかもしれないからと、隠し事をする必要はない。ありのままを、話してくれるかな?」
「はいっ。誠さん、私が今から言うことは、全部本当のことです」
それから俺たちは、もう一度キスをしてお互いの絆を確かめあった。夢香が話し始める。
「実は私、去年の三月に交通事故で死んだんです。猛スピードで歩道に乗り上げた車に思いっきりはねられて、即死でした。でも、現実の世界に未練があるからという理由で、すぐに成仏させてくれませんでした。しばらくすると、私はここ、ワールド・インターチェンジに連れてこられました。ここに来てしばらくしてから知ったことなのですが、ワールド・インターチェンジにいる人たちは皆、私のように何らかの未練を残して亡くなった人たちなんです。ここで、世界を移動によって誰かを幸せにすることができれば、ここを旅立つ、すなわち成仏することができるんです。誠さんに初めてお会いした時、現実世界で私がどうしているのか答えられなかった理由は、これがすべてです」
「そうだったのか。でも、この場所が未練を残して亡くなった人たちの集まる場所だとすれば、なんで俺はここにいるんだ? もしかして、俺も自分の知らないうちに死んでたのか?」
「誠さんはまだ生きていますよ。「ワールド・インターチェンジ」という場所自体は、亡くなった人も生きている人も訪れることができますし、世界を移動する仕事も、生きている人も死んだ人もすることができます。それと、未練を持ったまま亡くなった人であれば、生前同様の元気な姿を、生きている人が見られる場所でもあります」
「なるほどねぇ。で、夢香の未練って?」
「それが……私にもわかりません……」
「私たちは、この世界でたくさんの人を世界移動させることによって少しずつ「未練」を晴らし、「幸せ」を貯めていっています。それが一定以上になったとき、私たちは「成仏」します。ですがその前に、未練が少なくなり幸せが多くなってくるにつれて、少しずつ体に異常が生じるんです。ここ最近私の体調がすぐれないのはこれが原因です。そして、ずっと前に私が熱を出して倒れたのも、元をたどればこのことが原因だと思います」
「つまり、夢香は少しずつ、でも確実に「幸せ」になっている、ということなのか。で、成仏したら、夢香はどうなるんだ? 俺はどうなるんだ?」
「私は消えます。どの世界からも消えていなくなります。私は、普通の死者と同じ扱いになります。そして、ワールド・インターチェンジでのみつながった人との記憶は、完全に消去されます。つまり、誠さんの記憶からも、私は消えてしまいます」
「そう、なのか……」
その時俺は、あまりに突然で、どうしようもできないこの事実を、まず疑うほかなかった。それをありのままに受け入れることはできなかった。夢香は続ける。
「誠さんは私がいなくなってからもこれまで通り過ごすことができます。ワールド・インターチェンジの他の人に出会えば、その人にまた世界を移動してもらうこともできます。ちなみにそれがないときは、誠さんは私が最後に移動させた世界で過ごし続けることになります」
「……ごめん。俺、この事実があまりに突然で大きすぎて、どうしてもうまく受け入れられない。優が家族を失ったかもしれないという事実を受け入れられない理由が、なんとなくわかる気がする」
「私も……怖いです。成仏するって、どういうことなんだろうって、いつも考えていますし、それに……誠さんとの思い出や絆、私と二人で造り上げていった全部が消えてなくなってしまうのが、何よりも怖いです」
夢香の体は細かく震えていて、瞳は涙一歩手前でうるんでいた。現実を受け入れられないのは、俺だけではなかったようだ。
「私……怖いです……」
俺たちは抱きあい、お互いが抱えている恐怖を分け合って、二人で少しずつ和らげていった。でも、こうやって抱き合っていられるのも、残りわずかしかないかもしれないと考えると、やっぱり怖くて、抱きしめるその手に力が入らず、するすると手がほどけるのであった。
ある夜、いつものように夢香のもとを訪れる。毎晩、「夢香に何か起こっていませんように……」と願うのだが、それを思った日はたいてい夢香が体調を崩す。かといって、何も思わずに夢香のもとを訪れても、あまり状況は変わらない。この夜も、それは同じだった。しかも、いつもよりちょっと、やばかった。
ベッドから起き上がり、ふと視界に入ったそこに、夢香が苦しそうな表情で横たわっているのを見た時、俺は、
「もう~~~! なんでなんだよ!」
思わずそのように心の中で叫んでしまった。別に夢香のことを悪く言っているわけではない。夢香をこんな目にあわせているのはこのワールド・インターチェンジという仕組みであるから、それを管理運営? していると思われる人に対して、どうしても怒りの気持ちを隠すことができなかった。もっとも、ワールド・インターチェンジが自然発生的にできたもので、誰も管理していないシステムだとしたら、俺の心の叫びは全く意味をなさなくなるわけだが。
俺は夢香のもとに駆け寄り、抱えてベッドに横たえる。
「おい、夢香……大丈夫か?」
「……うぅ」
こちらを向き、蚊の鳴くような声で応答するぐらいには体力はあるようだが、それでもかつての明るい表情は今は見受けられず、ただ苦しそうに目をつむっていた。
やがて、ある程度体力を回復したのか、夢香はゆっくりと起き上がった。しかし、起き上がった状態を維持できるだけの体力はなく、そのまま俺の両腕に身を委ねる形となった。
「すみません、誠さん……ご心配とご迷惑をおかけして」
「かまわない。夢香がちゃんとここにいてくれている、それだけで俺はうれしい。何も言わずに消えていなくなってしまうのが一番悲しいからな」
「誠さん……」
そのままキス……とはいかなかったが、俺たちはしっかり抱きあうことで、改めてその絆を確かめあった。
「あ、誠さん。私、思い出したんです。自分の未練が何だったのか」
「おぉ。そうなのか! よかったじゃないか。ちなみにそれが何か、俺に言えることか?」
彼女はそっとうなずき、それから俺の助けを借りながらベッドの上に座り、静かに話し始めた。
「私の未練……それは同い年の男の子を幸せにすることだったんです。私、小学生のころに自分のわがままである男の子とちょっとした物の取り合いのけんかをしたんです。それで、私が彼の持っていた物を奪い取ったんですけど、それが自分にとって嫌だった男の子はショックを受けた様子で、それまで遊んでいた部屋を飛び出して、家の外に出て行ったんです。その時に、不幸にも車にはねられたんです。幸いすぐに回復して、命に別状はなかったんですが、聞いた話だとその事故のせいでそれ以前の記憶が曖昧になってしまったそうなんです。他人を自分のせいでけがさせてしまったということももちろんですが、それよりも私の大切な、かけがえのない友達を取り返しのつかないことに巻き込んでしまった、ということが何よりも私の中で大きな罪で、償うべきことなのです。その事件以来、私は勝負事では不戦敗を申し出ることが多くなりましたし、けんかになりそうな雰囲気になったら、どんなことをされても、たとえ自分が悪くなかったとしても、自分が悪かった、許してくれ、と先に謝るようになりました。その時は、それが誰かを幸せにすることだと思っていたのですが、自分が死んでから改めて考えてみますと、それは違っていたことに気付きました。誰かを幸せにするには、自分から不幸を被りにいくのではなく、相手を幸せにしにいかないといけない。一歩下がるんじゃなくて、一歩踏み出さなければならないのだと」
夢香は、わずかな体力を振り絞って、力いっぱい、自分の思いを伝えようとしていた。彼女の過去、その結果彼女が強いられた行動、その後の考えの変化、今の夢香の言葉を聞くだけで、それがひしひしと伝わってくる気がした。
「でも、ワールド・インターチェンジでの厳しく、忙しい仕事の中でそれを実践するのはとても難しいことでした。その中で誠さん、あなたに出会ったことで私の心は大きく動きました。ちょっと忙しいけれど、誰かを幸せにしたい。そう強く思ったんです。中でも誠さんは、私が今まで出会った人の中でちょっと特殊な人でした。変態なことしか考えないのに優しい。そのうえ、私と誠さんは同い年で、気軽に話しやすい。だったらいっそのこと、誠さんのことを幸せにしてみようと。それからというもの、私は様々な方法で誠さんを幸せにする方法を考えました。いろいろ試行錯誤をしては、誠さんに怒られることもありました。誠さんに抱きしめられることもありました。恋心を抱こうか、悩むこともありました。しかし、私が恋心を捨て、誠さんと、家族のような絆を造り上げたいと願い、そしてそれを実現させた頃から、私の体調は急激に悪化していったんです」
夢香の言葉に、しばし思いを巡らせる。そんな経緯があって、俺にあのような行動をしていたのか。夢香のすべての行動の意味が、今何となくわかったような気がした。
「俺は夢香と……あ、でもそれを言ってしまったら、夢香の願いが叶って消えてしまうかもしれない」
「私の状態は言葉にするしないでは変わりませんよ。誠さん、今の思いを、私に教えてください」
「ならば……俺は、夢香に出会えて、本当に幸せに思ってる。感謝もしてる。もう聞き飽きたかもしれないけど、もう一回、いや、機会があれば何度も言わせてほしい。ありがとう」
「誠さん……」
夢香は、俺の言葉で消えることはなかった。うれしいと思うと同時に、少しもどかしくも感じた。ここで、ちょうど朝が近付いたため、俺は元いるべき世界に戻らなければならなくなった。夢香は俺と一緒にベッドに横になっているが、彼女が戻る世界はどこなのだろう。少し興味がわいたりもした。