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【自作小説】ワールド・インターチェンジ「第20話 あの人の首筋の傷跡」

季節は流れ、ついに二学期が始まった。まだまだ残暑も厳しいが、それでも夏休みに優と会っていたころよりかはいくぶん過ごしやすくなったような気がする。これから、どんどん気温は下がり続けるのだろうか。その問題は、夢香の今後をも予想しているようにも思えて、結論をすぐに出すとはできなかった。
下足場で、肩を叩かれた。振り向くと、そこにいたのは優だった。小声でささやいてくる。
「誠くん。喫茶店のことだけど、二学期もまた毎日来てもらえるかな? しばらくはマスターがクーラーの程よく効いた場所を提供してくれたり、アイスコーヒーをごちそうしてくれたり、勉強を教えてくれたりするらしいよ」
「わかった。じゃあ今日もこの後、また」
それだけ交わしておいて、俺たちは解散した。世界が変わり、優が以前ほどクラスの人気者ではなくなったとはいえ、やはり彼女に関わる人は多いから、変な誤解は起こしたくない。ましてや俺たちは、別の世界で実際に誤解を起こして取り返しのつかない事態に発展しそうになったという経験もしているからな。慎重な行動を必要とした。
それよりも、俺の心の中は、夢香のことでいっぱいだった。あれから毎日、俺は夢の世界で夢香と夜の時間を共にしているが、ここ最近は肉体的苦痛を感じる日とそうでない日が何日かおきにかわるがわる訪れる、という状態が続いていた。彼女に会いたくて仕方がないという気持ちも無きにしも非ずだが、間もなく成仏しようとしている、そしてその過程で肉体的苦痛を味わっている夢香に、少しでも楽な思いで旅立ってほしい、そのために俺には何ができるか、そのことで頭がいっぱいだった。今日は早く学校が終わったため、家に帰って自分にできることをいろいろ考えていた。

その夜、夢香は特に体の苦痛を訴えているようには見えなかった。それを見るだけで本当にほっとして、涙が出そうになる。俺は、できるだけ彼女に心配をかけないように、でもこの前みたいに感情をあふれさせてしまわないように、この思いをうまくビンの中に閉じ込めた。
「体のほうは大丈夫か?」
「はい。ここ最近は心身ともに落ち着いてきてて、誠さんと一緒にいても気分が悪くなったりはならなくなりました。あ、別に私が幸せじゃなくなったとか、そういうわけじゃないんですよ。幸せの度合いはむしろ日に日に増しているぐらいです。でも、気分が悪くなる前兆が何となく分かるようになって、それを意識的に我慢することで押さえ込むことができるようになりました」
「そうなのか。まぁ、無理だけはするなよ。だめそうだったら、俺に言えよ」
「誠さん、優しいですね。私、幸せだな。また血を吐いちゃおうかな」
「おい! 大丈夫か!?」
「ふふふっ、冗談ですよ」
「おい! ……心配かけさせるなよ」
結局、その時は何事もなかった。ったく、こういうときだけ俺を弄んで、いざ本当にやばいときって、夢香は何も言わないからな。世話が焼けるよ。世話が焼けて、心配で、でも楽しくて……もう、めちゃくちゃ幸せなんだよ。
その後、俺たちはまるで元の世界に戻る直前のように、ベッドに並んで仰向けになった。手をつないで同じ空、というよりかは天井を眺めている様子は、まるでピクニックで仲良くひなたぼっこでもしているかのようで、これもまた幸せなひとときだった。
「そういえば、夢香が好きだったって言う男の子、夢香は「彼」としか言ってないけど、名前とか覚えてないのか?」
「はい……彼は事故以前の思い出は曖昧になったと言いましたが、実は私も、月日の経過によって彼についての思い出がかなり曖昧になってきているんです。だから、彼がどんな顔だったかとか、具体的にどんなことをして遊んだかとか、ほとんど覚えていません。でも……」
夢香は右の首筋をさすりながら続けた。
「でも、彼の退院後初めて遊んだ日に彼が見せてくれた事故の傷跡は、今も鮮明に覚えていますし、絶対忘れません。彼、右の首筋におそらく一生消えないであろう傷を負ったんです。小さいものですが、それは確かに、私によってつけられた傷です」
俺は彼女がさする首筋の場所に、妙に心当たりがあると、今しがた感じ始めた。
「でも、彼に言わせてみれば、俺が自分自身でつけた傷だって、思ってたりするんじゃないのか?」
「私が言うのは失礼かもしれませんが、おそらくそう思っていると思います。そういえば、彼の性格も忘れられません。彼は……変なこだわりを持つところがありましたが、とても優しいし、私が悲しい思いをしないようにって、事故のことでさえ私のことをかばおうとしてたんです。頼りがいもあって、私が困っていたらすぐ助けてくれましたし、私が泣いていたら泣き止むまでずっと寄り添っていてくれました。私は一人っ子でしたから、実際にそういう人がいたらどう思うかは知りませんが、そうですね、まるでお兄ちゃんみたいな人でした。彼みたいな人がお兄ちゃんとしていてくれたらなぁ、と何度も思いました。私が引っ越しをして、彼と離ればなれになってしまってから、しばらく彼みたいな性格の人に出会うことはなかったのですが、最近になってまた同じような性格の人に出会うことができました。誰だと思いますか?」
夢香は、答えを待たずに俺の上に覆い被さってきた。そんな行動したら、答えなんて言わずとも明らかじゃないか。
「……誠さん、あなたです。そういえば、ちょっと変態なところとか、変なこだわりを持つところとか、私に優しいところとか、何もかもが彼にそっくりなんですよね。実は首筋に傷あとが残ってたりして」
そう言いながら夢香は俺の首元を優しくなで、右の首筋に顔をうずめようとした。
それから一分ほど経っただろうか、一向に夢香が気付きの動作をしないので、気になって声をかけてみた。
「……夢香?」
俺の声でようやく我に返ったのか、彼女は一瞬びくっと反応した。それから、急に小刻みに震え出した。
「……いや……いや……違う……」
「夢香? どうした?」
震えは次第に大きくなり、全身がガタガタと、まるで雪山で遭難して寒さを必死にこらえているかのような状態に見えた。
「そんな……誠さんが……うそっ……」
「夢香、」
俺はもう、夢香を抱きしめることしか考えなかった。極寒の状況を、二人の温かさで乗り越えようとするかのごとく、そして、二人の感情をミックスし、二人しか存在しない世界を自分たち自身で作るかのごとく、俺は夢香を、ただ一心に抱きしめた。
何分経っただろうか。それとも、丸一日抱き合っていたのか、よく分からないが、明らかに今までのそれより長く抱き合っていたような感覚はする。俺は静かに、優しく夢香に声をかけた。
「夢香、落ち着いて、今の気付きを、俺に話してみて? それが俺に話すことができないことなら、その必要はないけど」
「はい……」
それから、俺たちはあの時やったのと同じように、お互いの絆を再び確かめあった。夢香は静かに口を開いた。
「誠さん……もしかしたらあなたが、私の言う「彼」かもしれません。誠さんの首筋にあるこの傷、これは確かに見覚えがあります。はっきりと、嫌になるぐらい鮮明に脳裏に焼き付いている傷跡、私がきっかけを作った、私の犯した罪、そのものです。誠さんは、これに心当たりはありませんか?」
「うーん、あるといえばあるのかもしれないけど、残念ながら思い出せない。今までも何度か気になったことはあったけど、何かの拍子にこすったか、何かの検査的なやつでここにできたか、あるいは遺伝的な何かだと思い込んで、それほど気にしたことはなかった」
「誠さん、幼稚園の頃、私の家族と誠さんの家族で海へ遊びにいったこと、覚えていますか?」
「……ごめん、覚えていない」
「そうですか……じゃあ、小学二年の頃、キャンプへ行ったことは覚えていますか?」
「……小さい頃に森の中へ行ったことは覚えているけど、キャンプだったかどうかまでは」
「では、小学五年の冬、学校で何か気付いたことはありませんでしたか?」
「うーん、そうだなぁ……あるときから急に未使用の机が教室に一つ出てきて、あ! そういえば誰か転校したんだっけ? 誰だったんだろう?」
「それ……たぶん私です」
「え……」
「今の質問で、というか、こうやって誠さんを近くに感じているだけで、あなたがあの時の「彼」だと、はっきりわかりました。だって……」
夢香は、突然俺の胸のあたりに顔をうずめ、深呼吸を始めた。
「……すぅー、……はぁ。あぁ、まこのにおい……」
「夢香っ、今なんて?」
「まこ……ですか?」
「それ、俺の昔のあだ名だよ。女の子みたいな名前だから、周りの人にはもうその呼び方はやめてくれとお願いしたんだけど、そういえば一人だけ、別にいいかって思った子がいた」
「たぶん……私です」
「夢香……」
無意識のうちに、俺の右手はゆっくりと夢香の顔に向かい、そのまま彼女の頬に触れていた。頬の感触を指先に感じた瞬間、自分の体の中に電撃と、大きな衝撃波が生まれた。ふっと、意識が遠のき、視界が一瞬明るさを失う。
「ゆめ……ゆめ……なのか?」
「……!」
俺の口から自動的に発せられたその言葉に、夢香は強く反応した。目を大きく見開き、そのあと徐々に顔をゆがめて、大量の涙を流し始めた。次から次へと、大粒の涙が俺の顔に降りかかる。
「まこ……」
夢香……ゆめは、俺の昔のあだ名を繰り返し呼び、おそらく五年ぶりであろう再会を、心から喜んでいた。俺は、ゆめの感情が落ち着いたのを見計らって、もう一度抱きしめた。
「すぅー、……はぁ。……」
そして、ゆめがやったのと同じように、彼女のにおいを肺一杯に取り込んだ。
「ちょっと、やめてくださいよ。恥ずかしいですよ……」
「何言ってんだ。今、ゆめが俺に対して同じことをしたじゃないか。でもな、俺、ゆめとこの世界で初めて会ったときから今まで、ゆめと一緒にいる時に感じていたこのにおいに、どこか心当たりがあるような気がしてた。でも、どうしてもそれを思い出すことができなかった。今やっと、思い出せたよ」
「まこぉ……」
その声は、俺たちの関係が、実は昔の幼なじみだったかもしれないにも関わらず、それでもなお俺に絆の確認を求めてくるものだった。あえて直接的な表現を用いるなら、幼なじみとしてのキスを求めてくるものだった。
「ん……」
彼女のキスが、どことなく優しくなったような気がした。
「まこ……私たちって、もしかして……」
「うん。俺たち、昔会ったことがあるかもしれない」
あ、もう朝だ。

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