「俺……タイムスリップ、してしまったのか……?」
タイムスリップ……状況や形態によって、タイムトラベルやタイムリープとも表現されるそれは、サイエンス・フィクションの世界でしか起こりえないものだと思っていた。そんなものが現実に存在し、かつ我々の身近に利用できるものであれば、俺は真っ先にそれを利用し、小学生のころからやり直していただろう。
しかし、その夢はあっさりと、かなってしまった。
朝の目覚ましで起きる。もう一人の安藤恵吾が現れる可能性を警戒しながら朝の時間を過ごしていたが、結局その心配は杞憂に終わることとなった。
俺は、この日から変化を起こす必要があった。学校に着き、教室に入るなり、見覚えのある同学年の男数人が寄ってくる。例のやんちゃ集団だ。かつての俺であればこのまま彼らについていき、朝礼をサボって校内で遊び、1時間目の授業ぎりぎりになってようやく戻ってくる、という、いわば日課のようなものをこなしていただろう。俺自身にはサボりたいという欲求はなく、朝礼にもちゃんと参加し、1時間目の用意を余裕をもって行い、普通の児童として生活を送りたかった。しかし、あの集団の中での俺に拒否権はなかった。俺は、彼らの友人 ―俺自身は全くそう思っていないが、おそらく彼らはそう思っているのだろう― でありながら、人権を与えられなかった。
しかし、今の俺はかつてのころとは少し違う。俺は、小学生時代にタイムスリップし、小学生の体を得ることができながら、これまでの人生におけるすべての記憶が保持されたままであった。昨日の朝、今は存在しない喫茶店にいたことも、そしておとといのことも……
だから、彼らがどういう行動に出るのかもわかるし、高校時代まで生きてきた中で得た経験をもとに小学生では考えられないような思考・行動も取ることができる。実は昨夜、寝ている間にある作戦を考案した。成功するかどうかわからないようなチャレンジャーなものではなく、ごく簡単な、しかし確実に成功させられると確信できるものだ。今のこの世界が、ただ単に時間を巻き戻しただけのものであれば、あくまで俺の予想であるが、この作戦は100パーセント成功する。俺は、意を決して行動に移す。
目を覚ますと、俺は保健室のベッドで眠っていた。すでに給食・昼休みの時間になっていた。次第に意識がもうろうとしてきたので詳しいことは覚えていないが、おそらく作戦は完璧に遂行され、成功したものと推定される。俺はあの後、彼らの朝の呼び出しを拒み、緻密に制御された言葉の暴力を振りかけた。当然彼らは逆上し、俺に拳を振りかざしてくる。俺は「集団リンチ」そのままの激しい暴力を受けた。野次馬の児童が続々と集結する。誰かが言ったのか、たまたま近くを通りかかったのか、騒ぎの音が聞こえたのかは知らないが、教師数人も駆けつけてきた。これこそが俺の作戦の最も大きな収穫であった。「成功した……」と心の中でつぶやいた直後、顔にひときわ強い打撃を受け、しばらく意識が飛んだ。
ベッドから起き上がり、しばらくぼーっとしていると、外界を遮断するカーテンの開く音がした。担任の先生が入ってくる。
「安藤……お前、あのグループに無理やり加入させられてたんだな。今まで気づいてやれなくて悪かった」
その言葉を聞いて、俺は成功を確信した。俺は友達選びを間違え、無理やりあの集団にいさせられただけだということを周囲に認識してもらうために、彼らに暴力を働いてもらった。小学生やその先生は思考が単純だから、暴力=悪、暴力を振るわれた側を何とかしたいと考え、あのグループから脱退し、普通の学校生活を送ることができるようになるだろう。「作戦」と呼ぶにはあまりにシンプルすぎるものであったが、成功したのでよしとしよう。俺はその日以降、少しずつではあるがほかのクラスメイトとも打ち解け、次第に普通の小学生としての生活を取り戻していった。一方のやんちゃ集団はというと、数か月の自宅謹慎になった後、音沙汰がなくなった。おそらくほかの学校に転校したのだろう。しかし、もう誰も彼らのことを覚えていなかった。あの作戦を遂行する前までは自分も同様に思われていたのだと思うと、少々手荒な手段ではあったが実行してよかったと感じた。今しがた、学校の向かいの山に立っていたはずの鉄塔が無くなっていることに気づいたが、おそらく記憶違いだろうと判断し、特に気に留めることはなかった。
月日は流れ、俺はやんちゃ集団のレッテルを完全に取り去ることのできた、普通の小学生として卒業し、中学校へ進んだ。さて、数年ぶりに大きな作戦を実行するときが来た。とはいえ、今回は長期戦になることが予想された。俺は入学して間もなく、別のクラスにいる一人の少女に一目ぼれし、以後ずっと目で追いかけ続けてきた。苗字は忘れてしまったが、下の名前はたしか瑠香だったと思う。俺は瑠香と話してみたいとは思うものの、接点が全くなく、かつての俺はさながらストーカーのごとく追いかけ続け、彼女と結ばれた時のことを妄想し、自室では彼女のことを思いながら一人「行為」にふけるしかなかった。そして、そんな状況を打破したいと半ば当たって砕けろの精神であらゆる手段を使い、友人にも手伝ってもらいながら告白を行ったが、接点がなく、俺がストーカーしていることも知らない彼女からしたら突然見知らぬ男からの突然の告白に困惑するほかなく、当然のことながら俺は振られた。さらに、複数の友人に告白の手伝いをしてもらったがために俺が瑠香を好きなことが知れ渡り、俺が告白する直前には本人以外のほぼ全員が俺の好きな人が誰か、俺がいつ告白に踏み切るかを知っていた。そして、失敗の情報を聞きつけた奴らは俺を一様に笑いのネタにし、もはや陰にもなっていない陰口を叩き、さらにこの騒ぎを聞きつけた他学年の連中までもが俺をいじるようになり、俺は数か月の間、全校生徒からいじめを受けた。幸いにも夏休みを境にこの騒ぎは次第に収束し、年末までにはそれまで通りの生活が戻ってきた。
とはいえ、数百人から一斉に浴びる言葉の暴力というものはなかなかすさまじいもので、あと少し俺の心が弱ければ確実に不登校になっていただろう。そして身体への暴力がなかったことも不幸中の幸いと言えよう。
この騒ぎを起こさない方法は一つしかなかった。俺が瑠香のことを好きにならないことだった。あの時、トラックに轢かれて亡くなった少女は、実は中学からの友人で、全校生徒からいじめられていたあの時に俺のことをいじめなかった、数少ない心の友の一人だった。女子で俺の側に回ったのは、その少女一人だけだった。当然、彼女はほかの女子から激しいバッシングを受けた。俺が受けているのと同じように、いじめを受けた。それでも彼女は、俺に対するいじめが収束するまで、決して掌を返すことはなかった。彼女は、俺の良き理解者だった。にもかかわらず、俺は鈍感ゆえ彼女にこれと言った恩返しをすることなく中学を卒業し、ともに高校へ進学した。俺が周りのことをもっとちゃんと見て、正しい判断をすることができていれば、俺が好きになるべき相手はあの時振られた彼女ではないことがすぐにわかったはずだ。
しかし一目ぼれというのは恐ろしいもので、本当に「一目」見ただけで「惚れ」てしまうのだ。それは変わることがなく、俺はやはり、例の少女を見た瞬間に胸が強く締め付けられる感覚がした。しかし、ここで「俺は、あの子のことが好きなんだ」という短絡的な思考に至ってはかつての俺と同じだ。ここで冷静さを維持し、「これはあくまで一目ぼれ。本当に見つめるべき相手はほかにいるかもしれない」と自分に言い聞かせ、理性の暴走を抑えた。
「安藤くん、もしかして、好きな人いる?」
そう聞いてきたのは、かつて最後まで俺の側に立ち、ともにいじめに立ち向かってくれた彼女だった。
「んなわけ……」
「わかっちゃうんだな~これが。オンナの勘ってやつ?あっ、もしかして隣のクラスの瑠香ちゃんだったり!」
「ギクッ」
「あっ、図星だ~。私、実は瑠香ちゃんとこないだ友達になってさ、あの子がいる女子グループには入ってないんだけど、個人的によく話すようになったから、今度話す機会作ってあげようか!?」
それは、思ってもみない出来事で、予想外で、作戦の趣旨と少しずれるところではあった。しかし、せっかくの話す機会をむだにするつもりはなく、「まぁ、話すぐらいなら……」程度の軽い気持ちでその提案に乗ることにした。
それから後は、自分でも信じられないほどにとんとん拍子に物事が進んだ。ある休日、俺は瑠香と初めて面と向かって会話をした。短絡的に好きになるつもりはなかったので、本当に軽い気持ちで少し話し相手になるだけのつもりだったが、意外にも彼女と価値観や趣味の面で一致することが多く、あっさり意気投合してしまった。それからあとはお互いを「けーくん」「瑠香」と呼び合う仲となり、学校でも休み時間を利用して互いの教室を行き来して話をしたり、昼休みに一緒に弁当を食べたりした。結局卒業までお互い「告白」の形で思いを伝え合うことはなかったが、一部の人から「あの二人付き合ってるのか?」と思われるほどに、俺たちは良好な関係を築いていった。あの時、話すきっかけをくれた彼女には本当に感謝したい。俺としたことが、名前を度忘れしてしまった。不思議なことに、彼女の名前を忘れるのは今回が初めてではなく、一番身近な存在で、すぐに名前を覚えると思っていたにも関わらずなかなか記憶することができず、どんなに意識して覚えようとしても次の日には忘れてしまうほどであった。それは単なる度忘れにしては不自然な現象であった。
「この世界は、視点を変えると物事が少しだけ違って見えるんだよ」
いつしか、今は存在しない喫茶店のマスターに言われた言葉を思い出す。そういえば小学生の時にも記憶違いと思われる不可解な現象があった。これらの現象は、やんちゃ集団から脱退したりかつて振られた少女とうまくやっていけているといったような、それまでとは違った体験を味わったために、見る世界が少し違って見えているだけなのだろうか。マスターの言葉が、どうしてもうまく呑み込めなかった。
そして高校へ進学し、順風満帆の言葉そのままの人生を送っていたある休日、俺は殺された。顔は明らかに見覚えがある。小学生の時のやんちゃ集団のリーダーだった。
タイムスリップ……状況や形態によって、タイムトラベルやタイムリープとも表現されるそれは、サイエンス・フィクションの世界でしか起こりえないものだと思っていた。そんなものが現実に存在し、かつ我々の身近に利用できるものであれば、俺は真っ先にそれを利用し、小学生のころからやり直していただろう。
しかし、その夢はあっさりと、かなってしまった。
朝の目覚ましで起きる。もう一人の安藤恵吾が現れる可能性を警戒しながら朝の時間を過ごしていたが、結局その心配は杞憂に終わることとなった。
俺は、この日から変化を起こす必要があった。学校に着き、教室に入るなり、見覚えのある同学年の男数人が寄ってくる。例のやんちゃ集団だ。かつての俺であればこのまま彼らについていき、朝礼をサボって校内で遊び、1時間目の授業ぎりぎりになってようやく戻ってくる、という、いわば日課のようなものをこなしていただろう。俺自身にはサボりたいという欲求はなく、朝礼にもちゃんと参加し、1時間目の用意を余裕をもって行い、普通の児童として生活を送りたかった。しかし、あの集団の中での俺に拒否権はなかった。俺は、彼らの友人 ―俺自身は全くそう思っていないが、おそらく彼らはそう思っているのだろう― でありながら、人権を与えられなかった。
しかし、今の俺はかつてのころとは少し違う。俺は、小学生時代にタイムスリップし、小学生の体を得ることができながら、これまでの人生におけるすべての記憶が保持されたままであった。昨日の朝、今は存在しない喫茶店にいたことも、そしておとといのことも……
だから、彼らがどういう行動に出るのかもわかるし、高校時代まで生きてきた中で得た経験をもとに小学生では考えられないような思考・行動も取ることができる。実は昨夜、寝ている間にある作戦を考案した。成功するかどうかわからないようなチャレンジャーなものではなく、ごく簡単な、しかし確実に成功させられると確信できるものだ。今のこの世界が、ただ単に時間を巻き戻しただけのものであれば、あくまで俺の予想であるが、この作戦は100パーセント成功する。俺は、意を決して行動に移す。
目を覚ますと、俺は保健室のベッドで眠っていた。すでに給食・昼休みの時間になっていた。次第に意識がもうろうとしてきたので詳しいことは覚えていないが、おそらく作戦は完璧に遂行され、成功したものと推定される。俺はあの後、彼らの朝の呼び出しを拒み、緻密に制御された言葉の暴力を振りかけた。当然彼らは逆上し、俺に拳を振りかざしてくる。俺は「集団リンチ」そのままの激しい暴力を受けた。野次馬の児童が続々と集結する。誰かが言ったのか、たまたま近くを通りかかったのか、騒ぎの音が聞こえたのかは知らないが、教師数人も駆けつけてきた。これこそが俺の作戦の最も大きな収穫であった。「成功した……」と心の中でつぶやいた直後、顔にひときわ強い打撃を受け、しばらく意識が飛んだ。
ベッドから起き上がり、しばらくぼーっとしていると、外界を遮断するカーテンの開く音がした。担任の先生が入ってくる。
「安藤……お前、あのグループに無理やり加入させられてたんだな。今まで気づいてやれなくて悪かった」
その言葉を聞いて、俺は成功を確信した。俺は友達選びを間違え、無理やりあの集団にいさせられただけだということを周囲に認識してもらうために、彼らに暴力を働いてもらった。小学生やその先生は思考が単純だから、暴力=悪、暴力を振るわれた側を何とかしたいと考え、あのグループから脱退し、普通の学校生活を送ることができるようになるだろう。「作戦」と呼ぶにはあまりにシンプルすぎるものであったが、成功したのでよしとしよう。俺はその日以降、少しずつではあるがほかのクラスメイトとも打ち解け、次第に普通の小学生としての生活を取り戻していった。一方のやんちゃ集団はというと、数か月の自宅謹慎になった後、音沙汰がなくなった。おそらくほかの学校に転校したのだろう。しかし、もう誰も彼らのことを覚えていなかった。あの作戦を遂行する前までは自分も同様に思われていたのだと思うと、少々手荒な手段ではあったが実行してよかったと感じた。今しがた、学校の向かいの山に立っていたはずの鉄塔が無くなっていることに気づいたが、おそらく記憶違いだろうと判断し、特に気に留めることはなかった。
月日は流れ、俺はやんちゃ集団のレッテルを完全に取り去ることのできた、普通の小学生として卒業し、中学校へ進んだ。さて、数年ぶりに大きな作戦を実行するときが来た。とはいえ、今回は長期戦になることが予想された。俺は入学して間もなく、別のクラスにいる一人の少女に一目ぼれし、以後ずっと目で追いかけ続けてきた。苗字は忘れてしまったが、下の名前はたしか瑠香だったと思う。俺は瑠香と話してみたいとは思うものの、接点が全くなく、かつての俺はさながらストーカーのごとく追いかけ続け、彼女と結ばれた時のことを妄想し、自室では彼女のことを思いながら一人「行為」にふけるしかなかった。そして、そんな状況を打破したいと半ば当たって砕けろの精神であらゆる手段を使い、友人にも手伝ってもらいながら告白を行ったが、接点がなく、俺がストーカーしていることも知らない彼女からしたら突然見知らぬ男からの突然の告白に困惑するほかなく、当然のことながら俺は振られた。さらに、複数の友人に告白の手伝いをしてもらったがために俺が瑠香を好きなことが知れ渡り、俺が告白する直前には本人以外のほぼ全員が俺の好きな人が誰か、俺がいつ告白に踏み切るかを知っていた。そして、失敗の情報を聞きつけた奴らは俺を一様に笑いのネタにし、もはや陰にもなっていない陰口を叩き、さらにこの騒ぎを聞きつけた他学年の連中までもが俺をいじるようになり、俺は数か月の間、全校生徒からいじめを受けた。幸いにも夏休みを境にこの騒ぎは次第に収束し、年末までにはそれまで通りの生活が戻ってきた。
とはいえ、数百人から一斉に浴びる言葉の暴力というものはなかなかすさまじいもので、あと少し俺の心が弱ければ確実に不登校になっていただろう。そして身体への暴力がなかったことも不幸中の幸いと言えよう。
この騒ぎを起こさない方法は一つしかなかった。俺が瑠香のことを好きにならないことだった。あの時、トラックに轢かれて亡くなった少女は、実は中学からの友人で、全校生徒からいじめられていたあの時に俺のことをいじめなかった、数少ない心の友の一人だった。女子で俺の側に回ったのは、その少女一人だけだった。当然、彼女はほかの女子から激しいバッシングを受けた。俺が受けているのと同じように、いじめを受けた。それでも彼女は、俺に対するいじめが収束するまで、決して掌を返すことはなかった。彼女は、俺の良き理解者だった。にもかかわらず、俺は鈍感ゆえ彼女にこれと言った恩返しをすることなく中学を卒業し、ともに高校へ進学した。俺が周りのことをもっとちゃんと見て、正しい判断をすることができていれば、俺が好きになるべき相手はあの時振られた彼女ではないことがすぐにわかったはずだ。
しかし一目ぼれというのは恐ろしいもので、本当に「一目」見ただけで「惚れ」てしまうのだ。それは変わることがなく、俺はやはり、例の少女を見た瞬間に胸が強く締め付けられる感覚がした。しかし、ここで「俺は、あの子のことが好きなんだ」という短絡的な思考に至ってはかつての俺と同じだ。ここで冷静さを維持し、「これはあくまで一目ぼれ。本当に見つめるべき相手はほかにいるかもしれない」と自分に言い聞かせ、理性の暴走を抑えた。
「安藤くん、もしかして、好きな人いる?」
そう聞いてきたのは、かつて最後まで俺の側に立ち、ともにいじめに立ち向かってくれた彼女だった。
「んなわけ……」
「わかっちゃうんだな~これが。オンナの勘ってやつ?あっ、もしかして隣のクラスの瑠香ちゃんだったり!」
「ギクッ」
「あっ、図星だ~。私、実は瑠香ちゃんとこないだ友達になってさ、あの子がいる女子グループには入ってないんだけど、個人的によく話すようになったから、今度話す機会作ってあげようか!?」
それは、思ってもみない出来事で、予想外で、作戦の趣旨と少しずれるところではあった。しかし、せっかくの話す機会をむだにするつもりはなく、「まぁ、話すぐらいなら……」程度の軽い気持ちでその提案に乗ることにした。
それから後は、自分でも信じられないほどにとんとん拍子に物事が進んだ。ある休日、俺は瑠香と初めて面と向かって会話をした。短絡的に好きになるつもりはなかったので、本当に軽い気持ちで少し話し相手になるだけのつもりだったが、意外にも彼女と価値観や趣味の面で一致することが多く、あっさり意気投合してしまった。それからあとはお互いを「けーくん」「瑠香」と呼び合う仲となり、学校でも休み時間を利用して互いの教室を行き来して話をしたり、昼休みに一緒に弁当を食べたりした。結局卒業までお互い「告白」の形で思いを伝え合うことはなかったが、一部の人から「あの二人付き合ってるのか?」と思われるほどに、俺たちは良好な関係を築いていった。あの時、話すきっかけをくれた彼女には本当に感謝したい。俺としたことが、名前を度忘れしてしまった。不思議なことに、彼女の名前を忘れるのは今回が初めてではなく、一番身近な存在で、すぐに名前を覚えると思っていたにも関わらずなかなか記憶することができず、どんなに意識して覚えようとしても次の日には忘れてしまうほどであった。それは単なる度忘れにしては不自然な現象であった。
「この世界は、視点を変えると物事が少しだけ違って見えるんだよ」
いつしか、今は存在しない喫茶店のマスターに言われた言葉を思い出す。そういえば小学生の時にも記憶違いと思われる不可解な現象があった。これらの現象は、やんちゃ集団から脱退したりかつて振られた少女とうまくやっていけているといったような、それまでとは違った体験を味わったために、見る世界が少し違って見えているだけなのだろうか。マスターの言葉が、どうしてもうまく呑み込めなかった。
そして高校へ進学し、順風満帆の言葉そのままの人生を送っていたある休日、俺は殺された。顔は明らかに見覚えがある。小学生の時のやんちゃ集団のリーダーだった。
※この物語はフィクションです。