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【自作小説】World Resetter「第1話 非日常へのいざない」

 この世界には、科学では証明できないような不可思議な出来事がたくさん存在する。それは例えば幽霊とか、超常現象とか、ジンクスとか。それらには人々を楽しませ、極楽の地へと導くものもあれば、人々を怯えさせ、恐怖のどん底に突き落とすものもある。これらの出来事は、現実に存在するかどうかすらわからないものもあるが、時にテーマパークの人気アトラクションに利用されたり、テレビで視聴率向上のために過剰に脚色して紹介されたりすることもある。
 これからお届けするのは、俺、安藤恵吾が実際にこの目、この耳、この肌、あらゆる感覚器官をもって体験した、この世に存在するすべての法則を駆使したとしても証明できないであろう現象を、何一つ脚色することなく忠実に書き記した物語である。この物語を書いている今感じているのは、果たして自分が本当にその現象を体験していたのか、ということである。しかし、この体に残っている感覚を、何の形にも残すことなく忘れてしまえば、それは空中を舞う塵同然の何の意味も持たない存在と化してしまう。俺は、この現象に何らかの大きな意味があり、いつの日か世界を大きく変える何かになると信じて、この物語を最後まで進めていこうと思う。

 俺は高校二年になってからの一か月で、人生を左右するかもしれない失敗をすでに三度も犯していた。一つ目は新年度が始まってすぐに行われた、クラス分けのプレースメントを兼ねた進級テストで絶望的な点数を取ってしまい、それまで得意としていた英語と数学ですら、最下位のクラスに割り当てられてしまったこと。二つ目は、俺に告白してきた女子を振ってしまったこと。それは進級テストの結果が返却され、あまりに絶望的な点数に完全に精神を打ち砕かれた直後の出来事であり、対して告白してきた女子は進級テストで思うような結果が出たらしく、教室の中でホクホクした表情で一日を過ごしていたのを見ていた。そんな女子がこんな俺に告白してくるのだから、きっと裏があるに違いない。満身創痍の俺の心を癒そうと懐に忍び込み、俺を気を引いたところで暴利を貪るつもりだ。少なくともその女子に告白されたときの俺はそのような思考をすることしかできず、残酷な言葉の羅列で彼女を振った。今の俺にその言葉の一字一句を思い出すことはできないが、おそらく今述べたような心の闇をそのまま口にしてしまったんだと思う。そして三つ目。俺に振られた女子は、どうやら裏があって俺に近づいたわけではなく、本当に、心の底から俺のことが好きだったらしい。それを言葉の暴力で惨殺された彼女は、泣きながら走って立ち去り、無我夢中で走って、赤信号の交差点に突っ走って、大型トラックにはねられて、俺の目の前で、即死した。俺はとっさに携帯電話で警察と消防、学校に連絡を取ったが、それ以外のことは覚えていない。あるいは俺の脳が本能的に記憶を拒んだか、それを想起するのを拒んでいるのかもしれない。きっと大型トラックに激突し、数十トンの巨体によって押しつぶされた彼女の華奢な肉体が、凄惨な様相を呈していたからだろう。
 その日の夜、俺は眠ることができなかった。彼女は自ら交差点に飛び出し、トラックに轢かれて亡くなった。俺は「交差点に飛び出す」という行為自体には何ら関与はしていない。じゃあ俺は彼女を殺していないと言えるか。否。俺は時々彼女と帰路を共にすることがあり、俺が家路を急いで信号を無視して横断歩道を渡ろうとしても「ダメだよ恵吾くん、信号はちゃんと守らないと」と言い、俺の手をぎゅっと握り、強く引いて信号無視を阻止しようとするほどの几帳面な性格だ。そんな彼女が自発的に、意識して信号無視を行うことなど考えられない。「交差点に飛び出す」という行為は、明らかに彼女からの告白に対する俺の返答によって起こされたものだった。俺があのような残酷な振り方さえしなければ……振るならせめてもう少しオブラートに包んで……というか、そもそも俺と彼女はよく話をする仲だったし、一緒に帰宅したり、休日は一緒に遊んだり一緒に勉強したり、二人三脚でお互いを高めあう、我ながら友達以上と言える仲であった。俺がもう少し冷静になり、自分の心に正直に向き合って、素直に気持ちを伝えていれば……
 俺は、自らの短絡的な考えによって、彼女の幸せを奪ったばかりか、不幸のどん底に突き落としてしまったのだ。彼女は俺とのこれまでの日々、それによって築き上げられた絆を信じ、今このタイミングで告白すればきっと安藤恵吾にOKしてもらえると思っただろう。俺に振られ、心の拠り所を失った彼女は人生に悲観し、夢中で走りだし、運悪くトラックに撥ねられたのだ……

 思えば、俺の人生は選択の失敗だらけである。中学の時には、昨日亡くなった少女とは別の女子に告白し、振られた。そればかりか、その女子は俺の告白を笑いのネタにし、クラス中に俺が告白してきたことを面白おかしく話し、俺はそのことで半年ほどいじめられた。また、小学生の時には友達選びを間違え、度を越したやんちゃをするグループにつるんだことが原因で生徒指導を幾度となく受け、3回ほど自宅謹慎にもなった。俺自身は先生によって咎められる行為は一切行っていない。しかし、「同じグループの一員なのだから、連帯責任だ」などと、俺を問題児と同等に扱った。当然クラスメイトからも非難され、避けられ続けた。俺自身はそのグループにいるだけで何もしていないことを釈明しようとしたが、それは無駄な抵抗に過ぎず、そのグループにいること自体が悪であった。そして、例に漏れることなく、高校でも俺は選択を失敗し、あろうことか(間接的ではあるが)人を殺した。誰が決めたのかは知る由もないが、俺が人生の岐路において、選択の失敗を続けることは、俺が生まれた瞬間に決められていたことだった。思えば小、中、高と進むにつれて、選択を失敗したことによる影響がひどくなってきていた。高校の今、このような事案を起こしたのであれば、将来俺は今回のように衝動的に、あるいは計画的に、自らの手で人を殺すことになるかもしれない。などと考え始めると、明日を生きるのもつらくなってくる。

 それでも、朝はやってくる。神様というのはなんとも意地悪な存在で、人々に差別を与え、ある人は生涯を通じて幸福を享受し続け、ある人はうまくいかないことばかりで、むしゃくしゃした結果より悪い方向に流れる負の連鎖の人生を送り続けることとなる(自分は明らかに後者であった)にもかかわらず、朝・昼・夜と天災だけは人を区別することがない。俺はいつも通り朝の支度を済ませたが、そのまま学校へ向かう気にはなれず、ある場所へ向かった。ハハハッ、「友達以上の関係のあの女子が亡くなってしまったのが悲しくて休んだ、心の弱い奴」など、好きに思うがいい。今の俺にクラスの奴らが何を考えていようが関係あるまい。

 重く風情のある木製の扉をゆっくりと押す。さすがに朝のこんな早い時間には開いていないと、半ばあきらめの気持ちもあったが、その扉は俺が押したのと同じ力で押し返すことはなく、力のいくらかを吸収し、ギギギ……と寝起きの耳には障る音を立てながらゆっくりと開いていった。カランコロン、と、軽く乾いた鐘の音が聞こえ、中からタバコのにおい、木のにおい、コーヒーの香りが複雑に交じり合った、いかにも喫茶店といった空気が一気に押し寄せてきた。押し寄せてきているのに、その空気は俺を店の外へと排除するものではなく、逆に俺を店内に引き込もうとするものであった。その空気に乗せられ、俺はこの喫茶店の中へと足を踏み入れた。
「やあ、いらっしゃい安藤の坊ちゃん。今日は学校は行かなくていいのかい?」
 ここは俺と、昨日亡くなった彼女の行きつけの喫茶店である。高校の通学路の途中の細い道を奥へ進んだ、人通りのほとんどない一角にぽつりとたたずむ、まさに隠れ家的な店である。俺と彼女はこの店を「二人だけの秘密基地」と称して、放課後に訪れて一緒に宿題をしたり、休日にコーヒーを飲みながら語り明かしたりした。マスターもそんな俺たちの仲を認めてくれたのか、コーヒーを注文せずに時間を過ごすだけでもよかったり、大人の事情と称してコーヒーをごちそうになることもあった。もともと来店客が少ないというこの喫茶店で、マスターも話し相手がほしかったらしい。マスターは、まるで俺たちの学校の事情など知ったこっちゃない、といった感じのゆったりした性格で、店内にもマスターと同じゆったりした、しかし全く重苦しくない、むしろ軽やかさすら感じるほどの独特な空気で満たされていた。俺がこんな朝早くに喫茶店に入ってきても追い出すことはせず、「朝も早くて眠かろう。コーヒーは目覚めにいいぞ」などと、コーヒーまでごちそうになった。
 コーヒーを飲みほしたところで、俺は昨日起こった出来事のすべてを(記憶に残っている範囲で)すべてマスターに話した。間接的に人を殺した、それも俺の大事な人を亡くした、という思いから、時折言葉に詰まり、嗚咽で次の言葉が出なくなることもあったが、マスターは俺が話し終わるまでずっと俺のもとから離れることなく、俺のことをじっと見つめて最後まで話を聞いてくれた。すべてを話し終えたころには、すでに1時限目の授業の開始時刻となっていた。
 マスターはいったん店の奥に入り、2つのコーヒーカップを持って戻ってきた。そのうち一つを俺に差しだし、もう一つは自分で飲み始めた。
「坊ちゃんは、今話してくれたことについての私のアドバイスは求めていないだろうし、私自身もアドバイスをする気はない。ただ、一つ言えるのはね……」
 マスターはコーヒーを一口含み、口の中で転がしながらその香味を味わい、ゆっくりと飲み込んだのち、遠くにある、おそらく実体のない何かに視線を向けながらゆっくりと話し始めた。
「この世界は一つ限りじゃないと、私は思う。私たちが生きているこの世界では、君が大切に思っていた嬢ちゃんは亡くなった。でも、本当に亡くなってしまって、存在が影も形もなくなってしまったのだろうか?私はそんなことはないと思うんだよ。この世界が一つだけというのは、実は単なる私たちの錯覚であって、いろんな世界を渡り歩くことができる中で今この瞬間は、私たちが見ているこの世界しか見ることができないだけ、なのかもしれない……なーんて、すまないね、おじさんの変な空想に付き合ってもらって」
「いえ、そういってもらえると、少しだけ元気出ました……」
「まぁでも一つだけ自信をもって言えるのは……この世界は、視点を変えると物事が少しだけ違って見えるんだよ。今、本来なら坊ちゃんは学校で授業を受けているはずなのに、この場所にいる。なんだか不思議な感覚がするだろう?もしかしたら今この瞬間にすでにこの外の世界は少しだけ変わっているかもしれない。変わっていないかもしれない。それを判断するのは坊ちゃん、君の視点の向け方なんだよ」

「ごちそうさまでした」
 店を出た俺は、かといって遅刻で学校へ行く気にもなれず、喫茶店の近くの公園に立ち寄ることにした。先ほどの喫茶店からさらに奥まったところに位置するため、日中ともなれば人通りは皆無となる。ここなら学校をサボってふらふらと放浪しているところを誰かに見られる心配はあるまい。俺は公園の中にあるベンチに仰向けになり、学校のカバンを枕に空を仰ぎ見た。「この世界は、視点を変えると物事が少しだけ違って見える」という、マスターの言葉の意味するところを解釈しようと頭をフル回転させているうちに、俺は眠りについてしまったようだ。

 ふと気が付いた時、そこが夢の中の世界であることはなんとなく想像がついた。意識はたしかにここにあるが、肉体がふわふわと浮遊しているような感覚で、俺自身の体はそこに存在していながら、同時に存在していなかった。
「安藤……くん。恵吾、くん……」
 俺はある少女に話しかけられる。その少女には明らかに見覚えがあった。彼女は昨日までの自分であれば、一瞬でその存在が何であるかを認識し、即座に名前を思い出し、ピッチャーから投げられた野球ボールを打ち返すよりも早く、その名前を呼ぶことができた。しかし、今の俺にはなぜだろう、そのごく当たり前で簡単な過程をこなすことができなかった。俺は、明らかに見覚えのある彼女の名前を、全く、これっぽっちも思い出せなくなっていた。手がかりすら、噴出の兆しを見せなかった。
「恵吾くん……恵吾、くん……」
 その少女は、数メートル離れたところから、ただひたすら俺の名前を呼び続けていた。彼女が徐々に俺に近づいてくる。ついに鼻先が触れるほどまでに接近した。俺が少しでも顔を前に突き出せば、俺は彼女とキスをすることになる。しかし、俺は彼女の体に触れることはできなかった。存在していながら同時に存在していなかったのは、俺だけではなかった。透き通っているわけでもなく、明らかに目の前に実体がある彼女に、俺は触れることができなかった。
「好き……好き……」
 俺は、そんな彼女に、至近距離から「好き」を連呼された。何回「好き」と言われたかはわからない。12~3回ぐらいかもしれないし、5000兆回言われたかもしれない。結局何回言われたかを把握することはできなかった。「好き」の言葉を聞くうち、段々と意識が遠のき、そのまま意識が再び暗闇へと消えていったからだ。

 ずいぶんと不思議な夢を見ていた。ふと気が付くとすでに夕方になっていた。我ながら少し寝すぎてしまったようだ。こうしてまた一つ、人生の選択を失敗してしまったなあ、などと考えながら起き上がろうとする。足が短いことに気づいた。寝る前にはベンチの外へひざ下が投げ出される形になっていたはずの俺の足は、つま先がベンチのふちにもかからないほどに短くなっていた。次に、枕にしていたはずのカバンが無くなっていることに気づいた。そして、俺は高校の制服を着ていたはずなのに、なぜか私服に変わっており、しかもプリントされている柄がいかにも小学生の少年向けのやんちゃなものであった。というか、俺自身の体が、まるで小学生であるかのように小さくなっていた。あまりに突然で、ありえない光景に脳が混乱し、しばらく何も考えることができなかった。焦り、恐怖、不安、それでも無慈悲に刻み続けられる時間……様々な感情が胸の奥をかき回し、ついには俺に嘔吐をもたらした。胃袋の中が空っぽになってもなお嘔吐中枢は収まることがなく、正常な呼吸すらままならない状況となった。それがようやく収まったとき、俺はまず例の喫茶店へと向かった。
 しかし、そこに喫茶店など存在しなかった。喫茶店が存在するはずの場所は、雑草がうっそうと生い茂る荒れ地となっていた。そういえばマスターの話によると、この店は俺が高校一年のころに、マスターがほとんど趣味のようなもので開いた店で、老後の楽しみの一つとして荒れ地を開拓して自ら建物を作り、オープンさせたものだという。
「俺……タイムスリップ、してしまったのか……?」
 ようやく、今の自分が置かれた状況に脳の処理が追いつき始めた。そして、突然わけのわからない涙が流れ始め、俺はいまだかつてないほど大泣きした。俺は昨日、自分が高校二年になってから犯した三度の失敗を「人生を左右するものかもしれない」と表現した。しかし、その言葉に特に深い意味はなく、単なる比喩表現として用いたものに過ぎなかった。しかし、たった今俺が体験しているこの光景は、比喩でもなんでもなく、本当に人生を左右する、あるいはこれから左右していくことになるであろう、とてつもなく大きく、我々人間の手には負えない変化であった。

 俺は、ひとまず自宅へ帰ることにした。実は今味わっているこの光景は夢の中での出来事で、そのうち覚めるかもしれない。帰宅し、夕食を取り、風呂に入り、眠りにつくという、ごく日常のルーティンワークを正しくこなすことで、再び目を覚ました際には元の光景に戻っているかもしれない。そう思って、家路を急いだ。
「あら、おかえり」
「あっ……ただいま~」
 玄関で出迎えてくれた母親は、今朝同じ玄関で見送ってくれた母親とはまるで別人であるかのように若返っていた。決して化粧品やアンチエイジング関連製品による作り上げられた若さではない。本当に時間が十年ぐらいさかのぼったかのような、かつて俺が小学生の時毎日見てきた母親そのものだった。俺は、ひとまずこの複雑な気持ちに気づかれないよう気を付けながら家に上がり、間もなく夕食の支度が整うダイニングへと向かった。
もし、今ここにいる自分がタイムスリップしてきているだけの自分であり、この世界にいる本当の自分が現れると、安藤恵吾が二人存在する状態になり、その光景を目の当たりにした家族が混乱するか、タイムパラドックス的な何かによって世界が崩壊するのではないか、という考えが浮上したのは夕食が終わってからのことだった。夕食中に玄関で「ただいま~」という安藤恵吾の声がしなかったのは、ある意味不幸中の幸いかもしれない。俺はその日一日、もう一人の安藤恵吾が出現する可能性について警戒し、もし現れた場合にすぐに逃げ出すことができるよう準備も整えておいた。しかし、結局もう一人の安藤恵吾が現れることはなく、おそらくこの世界に安藤恵吾は俺一人だけであることが確認された。脳の混乱はまだ収まらないが、ひとまず今宵はいったん眠りにつくことにした。翌朝、目覚めたときに夢から覚めていることを信じて。

 しかし、夢から覚めてなどいなかった。俺は、小学五年生、五月の安藤恵吾のまま目を覚ました。

※この物語はフィクションです。

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