私ヘスは今年3月で大学院を卒業し、4月からは社会人として新たな一歩を踏み出します。小・中・高・大・院と、のべ18年に及んだ学生生活が、まもなく終わりの時を迎えます。そこで、これまでの学生生活を振り返り、来たる新社会人として決意を新たにすべく、この特集記事をお送りします。といっても、小中学生時代は10年以上前のことで、インターネット上にも自分のアクティビティがほとんどないので、思い出せる範囲での振り返りとなってしまいますが(笑)。
また、小学5~6年ごろには「新聞」と題して折り紙の裏面に記事を書き(出来事はすべて架空のもの)、毎日学校に着いてから朝礼が始まるまでの日課となっていました(作った「新聞」は誰かに見せるわけでもなく、ただコレクションして自分で楽しんでいました)。さらに6年の後半ごろ(だったと思うが正確な時期は覚えていない)からは「夕刊」と題して同じようなものを自宅で、折り込みチラシの裏面に書いていました。今思えばこれらもれっきとした「創作」で、現在の趣味につながるアクティビティだったのかな、と感じています(文章を書くという点では、現在やっている中だと自作小説につながっている?)。
そんな中、1年の2学期頃になんとなく深夜アニメを視聴したのをきっかけにアニメ・まんがにハマり、学習時間はさらに減少、成績の悪化に拍車がかかっていきました。今思えば、あの成績で3年間5者面談(成績不振者を対象に行われるらしい、生徒・保護者・担任・学年主任・副主任による面談)や退学の警告(校則によれば成績があまりにも振るわない生徒は退学の処分になることがあるらしい)などが一切なかったのが本当に不思議です(笑)。そして、高2の1学期のころに視聴したアニメのOPをきっかけに創作活動への興味が。「勉強ができなくてもこれなら…」などと謎の自信を抱き、それを理由にさらに学業をおろそかにしていく日々でした。創作活動は初め作曲を中心に行っていましたが、続いて自作小説にも取り組むなど、現在の自分の活動にも通じるアクティビティはこのころから始まりました。ちなみに当時は絵心が皆無で、何度か紙に鉛筆でイラストを描いてみようとしたものの、あまりにも下手くそですぐ投げ出したのを覚えています。あの時一度や二度描いただけですぐ投げ出さず、もう少し続けていれば今の自分のイラスト・まんがのスキルにも少なからず影響を与えていたと思うと、当時の自分は「諦めずにしぶとく努力する」「一つの分野に固執せず、様々なものにチャレンジする」「新しい知見をインプットし、学びながら、アウトプットする」という、クリエイターに必要な素質がそもそも欠けており、まだまだ未熟だったんだなぁと思います。
高校3年間はここまで振り返った通り暗黒の3年間でした。しかし、この激動の3年間がなければ今の自分は絶対存在し得なかったと思うと、少なくとも3年間という期間そのものは意味のあるものだったんじゃないかな、と感じます(とはいえ、あの日々をもう一度送れと言われたら、どんなに大金をもらってもやりたくないですけどねw)
創作活動面では、高校時代から取り組んでいた作曲を中心に、時間的余裕のある学生だからこそできることとして、様々なチャレンジを行いました。具体的には作曲依頼を受けたり、同人即売会に出展したり、などです。さらに2年の後期ごろからはなんとなく購入したペンタブ(当時はイラスト用ではなくデジタルメモ用の小さなものを使用していた)を使ってイラストに再度挑戦したところ、思いのほか長続きし、3年の時に作曲活動が折れてしまったのをきっかけに現在のメインのアクティビティとなっています。
学業面では、成績不振だと単位が出なかったり、最悪の場合留年して親に多額の学費をさらにお願いすることになってしまうという危機が現実の問題として見えていたこと、入った学科が自分の興味のある情報系の分野だったことから、意欲的に学習することができました。また、学業と趣味の折り合いをうまくつけることも常に意識し、一日一日を大切に過ごしていきました。
唯一うまくいかなかったのがちょうど3年のころにあたる2015年でした。この時は公務員を進路の一つとして考え、公務員試験対策講座も受講しました。ところがあまりの忙しさに趣味に取り組む余裕がなくなっていき、これが原因の一つとなり(引き金となったのはまた別の要因があるが)作曲活動の挫折を経験しました。さらにもう一つの趣味だった小旅行もこの年はほとんど実施できず、満足のいかない一年となりました。しかし、この経験があったことで自分の行動の仕方の反省点を出し切ることができ、次年以降の充実した創作活動などへとつなげることができているのではないかと感じています。
また、まもなく大学院を卒業する今だからこそ話せる内容なのですが、実は大学院進学を決めた理由の一つが「趣味の創作活動をもう少し続けたい」というものでした(笑)。こちらも前述した通りちょうど3年の頃に作曲活動が挫折し、夏の終わり頃から新たな創作活動としてそれまで細々とやっていたイラスト・まんがを本格的にやっていこうという時でした。就職活動や就職によって、せっかく軌道に乗りつつあったイラスト・漫画でも挫折するような事態になれば、全く創作活動ができず、さらに創作活動以外にこれといった趣味も持っていなかったため、ただ毎日仕事に明け暮れるだけの人間になってしまう可能性すらあり、正直に言うとこちらの危機感のほうが自分の中でかなり大きな割合を占めていました。時間的に余裕のある学生生活を2年間延長し、その間にイラスト・まんがを軌道に乗せることができれば、その後もおそらくうまくいくだろう、逆に2年間でイラスト・漫画が自分の新たな創作活動として身に付けることができなければ潔く創作活動をやめ、ほかに趣味を見つけるほかないだろう、との思いで、大学院進学への思いを強めていきました。結果的にイラスト・漫画制作は軌道に乗ったばかりか、それを介した交流が大きく広がり、多くの刺激を得てさらにスキルも伸びる、という好循環に乗せることができ、それだけでも大学院進学してよかったと思えます。大学院生活の2年間は大変なこともたくさんありましたが、どんなに苦しい時もこの創作活動が支えとなり、無事2年間を遂げることができました。
もちろん学業面でも多くの経験をし、成長することができました。具体的には、学会発表や論文発表を通じた、自分の研究内容の学術的な発信スキル、共同研究先の企業の方との交流を通じた、目上の人相手でも物怖じせず自分の伝えたいことを正確・簡潔に伝えるスキルを身に付けることができたことです。どちらも就職活動に有効に作用し、最終的に第一志望の企業の内定を頂くという、最高の形で実を結びました。一方、大学院生として後輩の指導にあたることも多く、頼りになる先輩たるために後輩の研究内容にも関心を持ち、時にサポートをしたりもしました。後輩への接し方にも常に気をつけ、何かを指導する時にも「自分が同じことを言われたらどう思うか」「自分はどんなことを言われたらやる気になるか」を考えながら言葉をかけました。これまでの学生生活の中で誰かの先頭に立って指導にあたることはほとんどなかったため、良い経験となりました。
私は4月からいよいよ社会人としての第一歩を踏み出します。就職はゴールではなく、スタートです。社会人となってからもこれまでと同様に常に学ぶ姿勢を持ち続け、これからも成長し続ける私でありたいです。
そして、これまでの学生生活を送る中で多くの人に心配・迷惑をかけ、支えてもらったのも事実です。これもまた、今の自分が成り立つために必要不可欠だったと思います。これまで関わってきた全ての方々への感謝の気持ちを忘れず、またこれからお世話になる人々に対しても常に感謝の気持ちを持って、これからの人生を送っていきたいです。
……などと抱負をそれっぽく述べてきましたが、具体的にこんな目標を持っていつまでに達成して、みたいな目標の立て方はしません。自分の人生をどのようにしていくか、自分はどのような人間であるべきかを決め、それを忠実に守ることで、おのずと結果はついてくると思っています。そもそも目標を決めていたところで、突然大学院進学の話が舞い込んできてそれまでの人生設計が全部吹っ飛んだこともありますから(笑)。
というわけで、長くなりましたが学生生活の振り返りと社会人に向けての抱負を述べました。社会人になってからも当ブログは運営を続けていきます(もともと投稿数が少ないので、これまでとあまり変わらないと思いますw)。これからも私ヘスをどうぞよろしくお願いいたします。
最後までご覧いただきましてありがとうございました。
小学生時代「バカみたいに真面目だった6年間」
小学生時代の私は、親の教育と進研ゼミの影響からか、同じ地区の上級生から「まじめくん」というあだ名がつけられるほどの真面目キャラで、今の自分から見れば「生真面目」といえる性格でした。当時はとにかく型にはまっていないと・ルール通りでないと気が済まない性格で、それゆえ何かをするにあたって非効率なやり方を取ったり、ルール通りでない他人をいちいち責めたりしていました。時には周りの全員が自分の思う「型」にはまっていないことが気に食わなくて発狂することもあり、校内放送が流れたら休み時間だろうが構わず「静かにしろ!!」などとわめく有様で、周りから見れば「頭のおかしい人」「迷惑極まりない存在」に見えていたと思います。ただ、きちんとルールを理解し、少なくとも自分はそれを誠実に守ろうとする姿勢は今の自分の信条の一つにつながっており、そのルーツをたどればこの「バカみたいに真面目だった」小学生時代に行き着くのかな、と感じています。また、小学5~6年ごろには「新聞」と題して折り紙の裏面に記事を書き(出来事はすべて架空のもの)、毎日学校に着いてから朝礼が始まるまでの日課となっていました(作った「新聞」は誰かに見せるわけでもなく、ただコレクションして自分で楽しんでいました)。さらに6年の後半ごろ(だったと思うが正確な時期は覚えていない)からは「夕刊」と題して同じようなものを自宅で、折り込みチラシの裏面に書いていました。今思えばこれらもれっきとした「創作」で、現在の趣味につながるアクティビティだったのかな、と感じています(文章を書くという点では、現在やっている中だと自作小説につながっている?)。
中学生時代「勉強・遊び・恋に全力だった3年間」
中学校への入学を機に環境が大きく変わり、担任や各教科の担当の先生方の濃いキャラの影響もあってか、それまでの生真面目な性格からは抜け出せたのかな、と思います。一方、中3の時にそれまで連絡を取れないでいた2つ下の幼馴染と部活で再開したのをきっかけに、一時はかなりいいところまでいったものの、私の高校進学と、今以上にひどかった私のコミュ障のせいで長続きせず、結局自然消滅するなど、恋愛ごとに関しては当たって砕けることの多い3年間でした(当たらずに砕けることもあったかw)。遊びの面では休日にクラスメイトと遊びに行くことが多くなり、時に悪ノリして先生や親に怒られることもありました。親からもらったおこづかいを勝手にクラスメイトにあげたりして(しかも割と大きな額)、父親に殴られそうになったこともありました。中3のころにはPCへの興味が過熱して父親の自作PCを勝手に分解したり棚に入っていた古いOS・ソフトウェアを漁っていたのが見つかり、父親の部屋を出禁になったこともありました(笑)。学業においては、中1の1学期中間試験で初めて数学のテストで平均点を下回る点数を取ってしまいました。小学生のころはテストは100点が当たり前、授業だけで内容をほぼ理解できていたため、予習復習の大切さをここで痛感しました。親のサポートもあり、期末試験以降は何とか持ち直しました。また、中2のときには当時親しかったクラスメイトとゲーム感覚でテストの成績を競い始めたのをきっかけに、以降高い成績をキープすることができました(そのクラスメイトと示し合わせて、席替えの際に「視力が悪い人は申し出れば前の席に配置する」制度を濫用して常に前のほうに座っていたのを今でも覚えていますw)。ほかにも合唱コンクールでは中1で指揮者、中2・3では自由曲の伴奏を担当するなど、とにかくいろんなことに全力で取り組んでいました。「人生で大事なことは全部この時学んだ」とまでは言いませんが、このときにバカやって怒られた経験が、今の自分のリミッターになっていると思います。また、私の信条の一つである「やるならとことんやる」も、この時得たものだと思います。高校生時代「暗黒の3年間、人生が変わった3年間」
中3の冬、高校入試を目前に控えたこのときにTwitterのアカウントを登録したため、高校時代のアクティビティはツイート履歴を見れば大体わかるのですが、履歴を見るまでもなく高校時代は暗黒の3年間でした。本当は苦痛の日々を思い出すので記事にすらしたくないほどなのですが(笑)、控えめに例えて都落ち、といったところでしょうか。1年の1学期は(一部の教科でそれまでに取ったことない低い点数を取るなど、すでに前兆は現れていたものの)中学の時の惰性でなんとか上位をキープしていましたが、2学期に入り新しい内容を次々と学ぶようになると小中学生時代の「家庭学習は宿題と最低限の予習復習で済ませ、学習内容は授業で全て理解する」というやり方が完全に通用しなくなり、しかもすぐに学習習慣を変えることもできなかったため、それまでの学習内容を使った次の学習内容も理解できないなど、徐々に悪循環に陥っていきました。そんな中、1年の2学期頃になんとなく深夜アニメを視聴したのをきっかけにアニメ・まんがにハマり、学習時間はさらに減少、成績の悪化に拍車がかかっていきました。今思えば、あの成績で3年間5者面談(成績不振者を対象に行われるらしい、生徒・保護者・担任・学年主任・副主任による面談)や退学の警告(校則によれば成績があまりにも振るわない生徒は退学の処分になることがあるらしい)などが一切なかったのが本当に不思議です(笑)。そして、高2の1学期のころに視聴したアニメのOPをきっかけに創作活動への興味が。「勉強ができなくてもこれなら…」などと謎の自信を抱き、それを理由にさらに学業をおろそかにしていく日々でした。創作活動は初め作曲を中心に行っていましたが、続いて自作小説にも取り組むなど、現在の自分の活動にも通じるアクティビティはこのころから始まりました。ちなみに当時は絵心が皆無で、何度か紙に鉛筆でイラストを描いてみようとしたものの、あまりにも下手くそですぐ投げ出したのを覚えています。あの時一度や二度描いただけですぐ投げ出さず、もう少し続けていれば今の自分のイラスト・まんがのスキルにも少なからず影響を与えていたと思うと、当時の自分は「諦めずにしぶとく努力する」「一つの分野に固執せず、様々なものにチャレンジする」「新しい知見をインプットし、学びながら、アウトプットする」という、クリエイターに必要な素質がそもそも欠けており、まだまだ未熟だったんだなぁと思います。
高校3年間はここまで振り返った通り暗黒の3年間でした。しかし、この激動の3年間がなければ今の自分は絶対存在し得なかったと思うと、少なくとも3年間という期間そのものは意味のあるものだったんじゃないかな、と感じます(とはいえ、あの日々をもう一度送れと言われたら、どんなに大金をもらってもやりたくないですけどねw)
大学(学部生)時代「世界が大きく広がった4年間」
高校時代の学業の不振は当然大学入試にも大きな影響を与え、第一志望の国公立大学に落ち、滑り止めとして受けていた私立大学(これも2大学6種類ぐらい受験した中でたった一つだけ受かっていたもの)に通うことになりました(苦痛の日々から早く抜け出したいという気持ちが非常に大きかったため、浪人してもう一度国公立大学にチャレンジするという選択肢はそもそもありませんでした)。今思えばこの選択が今の自分がこれほどまでに充実するきっかけになったと思っています。私立大学に通う分親に余計な出費をお願いしているので、第一志望の大学に落ちてよかった、とは言いませんが、学部4年間で経験してきたことは、この大学に通い、さらに下宿もしていたからこそ実現できたものが多く、逆に第一志望の大学(実家から自転車通学ができる距離)に通っていたらこれほどまでに充実した日々を送ることはできなかったのではないかと感じています(もちろん、第一志望に通っていたらそれはそれで何らかの楽しさを見出し、結果的に同じように充実した日々を送ったのかもしれないが)。創作活動面では、高校時代から取り組んでいた作曲を中心に、時間的余裕のある学生だからこそできることとして、様々なチャレンジを行いました。具体的には作曲依頼を受けたり、同人即売会に出展したり、などです。さらに2年の後期ごろからはなんとなく購入したペンタブ(当時はイラスト用ではなくデジタルメモ用の小さなものを使用していた)を使ってイラストに再度挑戦したところ、思いのほか長続きし、3年の時に作曲活動が折れてしまったのをきっかけに現在のメインのアクティビティとなっています。
学業面では、成績不振だと単位が出なかったり、最悪の場合留年して親に多額の学費をさらにお願いすることになってしまうという危機が現実の問題として見えていたこと、入った学科が自分の興味のある情報系の分野だったことから、意欲的に学習することができました。また、学業と趣味の折り合いをうまくつけることも常に意識し、一日一日を大切に過ごしていきました。
唯一うまくいかなかったのがちょうど3年のころにあたる2015年でした。この時は公務員を進路の一つとして考え、公務員試験対策講座も受講しました。ところがあまりの忙しさに趣味に取り組む余裕がなくなっていき、これが原因の一つとなり(引き金となったのはまた別の要因があるが)作曲活動の挫折を経験しました。さらにもう一つの趣味だった小旅行もこの年はほとんど実施できず、満足のいかない一年となりました。しかし、この経験があったことで自分の行動の仕方の反省点を出し切ることができ、次年以降の充実した創作活動などへとつなげることができているのではないかと感じています。
大学院生時代「公私ともに大きく成長できた2年間」
学部3年の秋に、親から「もし大学院に行きたいなら、資金面ではなんとかするから考えておくように」と言われたのをきっかけに、自分には関係ないと思っていた「大学院」について強く意識するようになり、ついに大学院進学に反対する父親を説得して大学院進学へと舵を切ることにしました。今思えば、この選択もまたうまくいったと考えています。やはり親に大学院2年間分の学費を払ってもらっているので「学部卒で就職しなくてよかった」とは言いませんが、前述の通り学部3年の頃は進路についてかなりフワフワしており、秋の時点でもまだ明確に興味のある業界を絞れずにいました。そんな状況で就職活動に入り、上手くいかず、納得はしていないけど内定だけ出た企業に入社するような事態になっていたかもしれない、と思うと、学生生活を2年間延長し、自分の将来について明確に考える期間を作ったのは正解だったと思います。また、まもなく大学院を卒業する今だからこそ話せる内容なのですが、実は大学院進学を決めた理由の一つが「趣味の創作活動をもう少し続けたい」というものでした(笑)。こちらも前述した通りちょうど3年の頃に作曲活動が挫折し、夏の終わり頃から新たな創作活動としてそれまで細々とやっていたイラスト・まんがを本格的にやっていこうという時でした。就職活動や就職によって、せっかく軌道に乗りつつあったイラスト・漫画でも挫折するような事態になれば、全く創作活動ができず、さらに創作活動以外にこれといった趣味も持っていなかったため、ただ毎日仕事に明け暮れるだけの人間になってしまう可能性すらあり、正直に言うとこちらの危機感のほうが自分の中でかなり大きな割合を占めていました。時間的に余裕のある学生生活を2年間延長し、その間にイラスト・まんがを軌道に乗せることができれば、その後もおそらくうまくいくだろう、逆に2年間でイラスト・漫画が自分の新たな創作活動として身に付けることができなければ潔く創作活動をやめ、ほかに趣味を見つけるほかないだろう、との思いで、大学院進学への思いを強めていきました。結果的にイラスト・漫画制作は軌道に乗ったばかりか、それを介した交流が大きく広がり、多くの刺激を得てさらにスキルも伸びる、という好循環に乗せることができ、それだけでも大学院進学してよかったと思えます。大学院生活の2年間は大変なこともたくさんありましたが、どんなに苦しい時もこの創作活動が支えとなり、無事2年間を遂げることができました。
もちろん学業面でも多くの経験をし、成長することができました。具体的には、学会発表や論文発表を通じた、自分の研究内容の学術的な発信スキル、共同研究先の企業の方との交流を通じた、目上の人相手でも物怖じせず自分の伝えたいことを正確・簡潔に伝えるスキルを身に付けることができたことです。どちらも就職活動に有効に作用し、最終的に第一志望の企業の内定を頂くという、最高の形で実を結びました。一方、大学院生として後輩の指導にあたることも多く、頼りになる先輩たるために後輩の研究内容にも関心を持ち、時にサポートをしたりもしました。後輩への接し方にも常に気をつけ、何かを指導する時にも「自分が同じことを言われたらどう思うか」「自分はどんなことを言われたらやる気になるか」を考えながら言葉をかけました。これまでの学生生活の中で誰かの先頭に立って指導にあたることはほとんどなかったため、良い経験となりました。
新社会人となるにあたっての抱負
ここまで学生生活18年間を小・中・高・大・院に分けて振り返ってきましたが、実際に振り返ってみて感じたのは、常に学業以外で多くのことを学んできたということです。当時の自分は何かを学んでいるという実感はありませんでしたが、今このように振り返ってみれば、私の人生は学びの連続で、それらは「経験」することなしにはなかったものでした。もちろん、中には「こんなことしなければよかった」「あの時このような決断をしていればその後嫌な思いをしなくて済んだのに」と思ったことも数え切れないほどありました。しかし、それらも実際に経験しないことには「嫌な思いをする」「後悔する」という感情そのものが生まれなかったと思うと、これまで犯してきた失敗もすべて今の自分を形成するためには不可欠だったと思えてきます。そのように思えば、今の自分の信条の一つである「行動し、経験して、学ぶ」という姿勢はこの18年間の学生生活のなかで自然と身につき、そしてブラッシュアップされていったものなのだと感じることができました。私は4月からいよいよ社会人としての第一歩を踏み出します。就職はゴールではなく、スタートです。社会人となってからもこれまでと同様に常に学ぶ姿勢を持ち続け、これからも成長し続ける私でありたいです。
そして、これまでの学生生活を送る中で多くの人に心配・迷惑をかけ、支えてもらったのも事実です。これもまた、今の自分が成り立つために必要不可欠だったと思います。これまで関わってきた全ての方々への感謝の気持ちを忘れず、またこれからお世話になる人々に対しても常に感謝の気持ちを持って、これからの人生を送っていきたいです。
……などと抱負をそれっぽく述べてきましたが、具体的にこんな目標を持っていつまでに達成して、みたいな目標の立て方はしません。自分の人生をどのようにしていくか、自分はどのような人間であるべきかを決め、それを忠実に守ることで、おのずと結果はついてくると思っています。そもそも目標を決めていたところで、突然大学院進学の話が舞い込んできてそれまでの人生設計が全部吹っ飛んだこともありますから(笑)。
というわけで、長くなりましたが学生生活の振り返りと社会人に向けての抱負を述べました。社会人になってからも当ブログは運営を続けていきます(もともと投稿数が少ないので、これまでとあまり変わらないと思いますw)。これからも私ヘスをどうぞよろしくお願いいたします。
最後までご覧いただきましてありがとうございました。