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高野山の一歩手前まで行ってきた~後編~

この記事は過去に初代ブログで投稿したものです。 初代ブログから本文をそのまま移行したため、一部表現に不自然な点があるかもしれませんが、そのまま掲載します。

 極楽橋駅の改札口は非常にこじんまりとしています。自動改札機はありますが自動券売機はなく、改札口を兼ねた窓口で切符を購入することになります。僕はスルッとKANSAIを持っているので、これを改札機に通すだけで普通に入出場できます。



極楽橋駅駅舎。植込みや周りの雰囲気から、入口の駅名標がなければ民家と勘違いしてしまいそうなたたずまいです。


駅周辺には川が流れており、せせらぎの音が初秋の山に響き渡っていました。というか、周りに何もなさ過ぎてせせらぎの音しか聞こえませんwその川沿いの道を進むと、この赤い橋の下をくぐります。
この橋こそが駅名の由来となった「極楽橋」です!山の中に突然現れたこの赤い橋は、その形から神々しさを感じ、思わず手を合わせたくもなります。

この橋をくぐり、さらに奥へ進みます。この道は舗装されており、まれに車も走っていました。あとでGoogleマップを見て知ったことですが、この道をそのまま歩き続けると、ケーブルカーを使わずに高野山の山上へ行くことができるそうです。また行く機会があれば、極楽橋駅から歩いて金剛峯寺などへ行ってみたいですね。

辺り一面、森です。この一帯の住所は「和歌山県伊都郡高野町大字高野山国有林」であり、れっきとした高野山の中です。


道の途中に、高野線の線路を直下に見られる地点があり、トンネルから出てくる電車を撮影できます。写真は折り返しでやってきた特急「こうや」です。少し前に遠くでレールの鳴きが聞こえるので、余裕を持ってカメラを構えられます。


もう少し進んだところにはこの構図で撮影できるスポットもあります。架線が間近にあってしっかり写りこむため、あまりいいスポットではありませんが・・・
こちらもまた、1分ぐらい前に遠くの方でレールの鳴きが聞こえるので、ゆっくりカメラを構えられます。

撮影を終え、極楽橋駅に戻ります。

当駅の発車標は、もはや反転フラップ式ですらなく、昔ながらの「行灯式」でした。発着本数が少ないので、これでも用は足りますが。

そして、先ほど撮影した各駅停車 橋本行き、橋本駅から急行 なんば行きに乗車して帰宅しました。

いかがでしたか?あの道が高野山の上につながっているとあらかじめ知っていれば、そのまま進んで山の上に出ることも考えましたが、その点についてはちょっと惜しいことをしてしまったと感じています。しかし、10年ぶりに南海電鉄を利用し、高野山の一歩手前まで来たことはなかなかいい思い出になりました。以前から、「また高野山に行きたいな」と思っていたので、その願いがかない、嬉しく思っています。次に訪れたときは金剛峯寺の参拝などもしたいです。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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